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あなたはビルゲイツの試験に受かるか?
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その18:思考プロセスの重要性
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 異質玉の問題は、最初簡単にわかった、という人が多かったと思いますが、実は、それは正解とは違った落とし穴のほうの解答だった、ということではないでしょうか。
 さて、これまでのものとは少しおもむきが違い、突飛な印象を受ける次の設問には、とまどった方も多いのではないでしょうか。しかし、ちゃんとした背景があるのです。
 では、解説に移ります。


問題 設問18 世界中にピアノの調律師は何人いるでしょう。

 真顔のビル・ゲイツから、目の前でこのような面接試験の問題を出されたら、あなたはとっさにどういう反応を示しますか? そんなのわかるわけがないという思いに近い反応か、あるいは、とんち問答のような解を求めていると思うか、または何か落とし穴があるのではと疑念を抱くか、それともその背景へと思いを馳せるか?

 そんなのわかるわけがないと思うのが、まずおおかたの反応ではないでしょうか。この設問を、たとえ「日本に何人くらい」というように、国を特定するとともに、おおよその数を問う問題へと変えたとしても、日本ピアノ調律師協会に所属しているメンバーでもないかぎり、皆目、見当もつかない問題で、ましてやそれが世界の調律師の数ということであれば、そのメンバーでさえお手上げのはずです。さらにアフリカとかくわしい統計などを取っていない国まで含めた全世界のピアノ調律師ということを考えれば、そんな統計数値などあり得ようがないわけです。

 しかし、「わかりません」という答えを聞くためなら、何のための設問かまったく意味をなさず、あるいは「えぃやっ、で当てろ」というのなら、理詰めとはまったくかけ離れた偶然だけを期待する愚問ということになり、わざわざビル・ゲイツがこんな設問を用意するはずがありません。
 以前見たトムとジムの持つドルの問題では、唯一解答がないものでしたが、そのときは設問内容が間違っているというのが正解でした。しかし、この設問18は設問内容が間違っていると言い切れるような、それと同じレベルで考えられる類のものではありません。
 そこで当設問はこれまでのものとはちょっと異質であることに気づいて、その背景に思いを巡らせることになれば、第一関門は通過です。

 では、その背景と何か。そんな統計数値があるはずもないのに、数を訊いているということは、とにかく数を出せ!ということです。ならばどうやってということになります。そうです、実はこのどうやってが、設問の背景なのです。つまり数を出すその推定プロセス、思考過程を見ようとしているわけで、数値自身を問題としているわけではないのです。
 いうまでもなく、システム開発やプログラミングの過程では、その核となるロジックが最も重要視されます。「考え方」という点から見れば、この特定分野にかぎらず日常業務から経営という面に至るまで、ビジネス界一般においても非常に重要な事柄であることがわかると思います。ビル・ゲイツや出題側は、まさにその考え方を見ようとしているわけです。
 
 では、推定にとりかかります。
 まず考えられる方法として第一に、調律の対象となる全体のピアノ設置台数はどれくらいあり、第二に、そのうちどれくらいの台数がどれくらいの頻度で調律を必要とするのかを考え、そして第三として、最終的に一人の調律師が診られる台数を推定してから、結局、都合これくらいの調律師がいることになる、という思考プロセスです。

 それではこの方法で、まず日本を考えてみます。そこでのピアノ設置台数ですが、設置場所として学校、ホール、団体施設、スタジオ、その他考えられますが、なんといってもその大半は一般の家庭であるとの見方には誰も反論がないと思います。すると世帯数に関係してきます。

 そこでまずどうしても知っていなければならない常識の数字が必要となります。それは日本の人口です。1億2千万人とします。1世帯あたり1人のところもあれば4人以上のとこもあります。平均2.5人として4800万世帯。この中でピアノの設置家庭は何割くらいか、ここでは正確な数値を求められているわけではなく、あくまでもどのようにして解いていくかという思考過程を重視していること、それを念頭において考えれば、常識はずれの数字でないかぎり何割でもいいのです。近所の家庭、友人や親戚の家庭、あるいはあまり余裕のない家庭や僻地のことなどに思い巡らしながら自分の思う数字を使えばいいです。
 近所でお子さんがいる家庭は5割くらいだが、そんなにピアノの音は聞こえてこないということで、それを1割くらいとします。4800万世帯の1割にピアノがあるとして480万台。これに学校などその他を加えて、きりのいい500万台として前に進みます。

 第二ステップ、そのうちどれくらいの台数がどれくらいの頻度で調律を必要とするかですが、頻繁に使用し、また音に厳しい家庭なら年に2回くらい、それ以外なら2〜3年に1回くらいか。ならば500万台全部を考えて、1台平均2年に1回くらいとすれば250万台が年1回で、隔年調律対象となります。
 これを作業時間という観点からどれくらいの調律師が要るのかを出してみます。まず1台当り調律時間1.5時間、通勤時間1.5時間とみて3時間、だから調律師1人1日せいぜい2台が限度で1ヶ月の勤労日20日として40台、1年で480台。したがって1年250万台を調律するには少なくとも250万台÷480台≒5200人が必要となるわけです。

 日本の数が出たところで次は世界ですが、ここでもやはり世界の人口、特にピアノの設置が多いだろうと考えられる北米やヨーロッパの人口です。北米3億人、ヨーロッパ4億人として、そこでの設置率を日本とほぼ同じと考えれば、日本との人口比約6倍ですから、5200x6=31200人と出ます。日本との合計は36400人。

 あとは世界の残りの地域における設置台数ですが、国の経済状況を端的に表す国内総生産GDPで考えれば、それを日本と同じくらいに見て5200人、したがって全世界の調律師は36400+5200=41600人、きりのいいところで42000人という推定人数が出てきます。

 それでは、あなたが日本で面接を受けた場合の模範解答です。


正解 正解18 サンプル解答
日本のピアノ設置台数および調律師の作業時間を推定することによって、結果を導き出すことを考える。設置場所は家庭が多い。日本の人口は1億2千万人くらい、1世帯2.5人として4800万世帯。その1割にピアノがあるとして480万台。これに学校、団体などを加えて全部で500万台が日本にあると推定。
  調律は1台平均2年に1回くらいとして、250万台が年1回、隔年調律対象となる。1台の調律に要する時間を通勤も含めて3時間とみると、1人1日でカバーできるのがせいぜい2台。1ヶ月の勤労日20日として40台だから、多く見積もっても1人の調律師が1年で480台。したがって1年250万台を調律するに要する人数は、少なくとも250万台÷480台≒5200人。
  世界では、北米、ヨーロッパでの設置が日本並みと考え、人口7億人なら日本の6倍で31200人。残る世界の設置台数は、そのGDPの合計が日本と同じくらいと考えて、5200人。都合合計、5200+31200+5200=41600≒42000人。

 実際、社団法人日本ピアノ調律師協会のホームページによれば、国内で稼動中のピアノは、少なく見積もっても500万台、調律師の数は6,000人ぐらいと出ていますから、かなりよい推定値です。また、アメリカ労働統計局や貿易統計のデータから推定している原書は、世界の調律師の数を40000人くらいと推定しています。
 しかし出題側の主旨は、実際の数値そのものを当てることにポイントがあるわけではなく、あくまで結果を算出するまでの思考プロセスを見ようとするものですから、常識はずれの値でなければどんな結果値でもいいのです。あくまでそのプロセスが理にかなっているかどうか、その算定道筋、考え方が合否の判定基準になる設問です。サンプル解答としたのはその意味によるものです。

 それでは次の設問はどうでしょうか。やはりその背景を考えながらやってみてください。


問題 設問19 長方形のケーキがある。そのケーキの中を誰かがすでに長方形にすっぽりと切り取っている。次に切れるのはまっすぐに1回だけで、この残されたケーキを2等分するにはどう切ればいいか。ただし切り取られたケーキの大きさや向きはどうであってもよいものとする。


 ちょうどよい機会なので、ピアノの調律に関して2、3補足しておきます。次の質問に対して、あなたはどのように答えますか。

 他の楽器にはいないのに、なぜピアノには調律師がいるのか

 精密金属部品の集合権化体ともいえるフルートやクラリネットでも、あるいはバイオリンやパープ、ギターや琴といった同じ弦楽器でも、たしかにピアノのような調律師がいません。
 フルートやクラリネットなどはいわゆる笛ですから、音源の元になる穴の位置がずれることがないため音階に変わりようがなく、調律師がいらないことは比較的容易にわかりますが、音のずれが生じる原因が弦の弛緩からくるような弦楽器では、その都度、音の調整が必要になるはずです。しかし、ピアノ以外の弦楽器で調律師という名は聞いたことがありません。なぜなのか。
 それは演奏前にバイオリンとかギターとか、舞台の上で盛んに音合わせをしている状況を思い浮かべていただければわかると思いますが、弦の数が少ないためにその調律は個人でもその場で簡単にできるからです。そこで弦の数だけの問題だったなら、ピアノでも時間さえかければ演奏の数時間前に音の調整はできそうに思えます。ところがピアノの構造やその構成要素を深く知れば知るほど、演奏者本人がその場一人でできる仕事ではないことがわかってきます。

 まず、鍵盤が88もあって、音源に関係する弦に至ってはなんと230本もあり、それら長さも太さも違う弦の張力バランスを整えねばならないのです。これら弦には、常に一本当り90kg、ピアノ1台当り20トンもの強い力がかかっているそうで、だから時間がたつにつれて少しづつ緩みでてくるわけですが、その強い張力の微妙な調整が必要になるわけですから、調律作業というものがいかに難しく時間のかかる仕事かがよくわかります。
 さらにその張力バランスを整えるだけではなく、各部の動きを整える整調作業や音色を整える整音作業まで必要になります。1台のピアノの部品は、グランドピアノでおよそ10,000個、縦型のアップライトピアノでも8,000個もあるそうで、ここまで知るともはやピアノには専門の調律師が必要なことがわかるというものです。

 ピアノを1台作るにはどのぐらいの時間がかかるか

 部品点数が10,000個もあるピアノといっても、何百満点もある車の生産のことを思えば、機械化によってそんなに時間はかからないのではと予測されますが、音の世界はまったく別次元のようです。
 まず、材料の主役は木ということで、丸太の切り出しから始りますが、コンサートグランドピアノなどではよい反響や音色を出すために、その木材を10年以上も天然乾燥させてから使うそうです。さらに各部位と部品などが10000点揃った段階で、支柱や側板といった土台の上に響板を貼り込んで順次組み立てていくわけで、それが終わったところで今度は、振動と音というもっとも微妙な世界の調整が必要になり、組み立てを終えたそれ以降の工程だけでも3ヶ月以上かかるそうです。最初から最後まで、車の組み立てのような流れ作業とはいかない、まったく別世界であることがわかります。

 ピアノの調律師には、なぜ国家検定試験のようなものがないのか

 このような質問にしますと、意図的に試験をなくしているかのように聞こえますが、本当のところは素人の筆者にもわかりません。ただ、仕事の本質を考えればそれでうまく機能していくだろうということはわかりますし、事実、何の混乱も起きていません。
 調律師というからには何か資格免許があるように思えますが、現在、調律師には国家資格を取得しなければならないといった免許制度はなく、学校等で勉強もしていない「自称調律師」であっても違法ではないのです。しかし音の世界は特別な世界で、実力がなければその場で即座にバレてしまう世界ですから、自称調律師ではその第一歩でつまずいてしまうことになり、以降、立ち行かないというわけです。
 実際、調律師になるには、まずはピアノメーカーなどに付属する養成機関や、専門学校、あるいは音楽大学の調律科などで2〜4年ほど勉強が必要で、たとえば、養成機関に入学するには、音楽が好きで音に対する感覚が優れていること、指が1オクターブの鍵盤に楽に届くこと、健康で情緒が安定していることなどが必要とされ、試験科目は国語、英語、数字、一般教養、作文、音感テスト、適性検査、人物テスト、健康診断などとなっているようです。

 これら調律学校卒業時では自動車教習所でいう「仮免許」の段階でり、卒業してはじめて「路上」に出るわけです。教習所の所内では子供の飛び出しも急な割り込みも暴走車もありませんが、路上では常に様々なことを予測して運転しなければならなく、経験豊富な教官の適切なアドバイスを受けながら勉強していくわけです。
 養成機関や学校以外の方法にも、中小規模のピアノメーカーや大きな修理・メンテナンス部門を持つ販売代理店などで、5〜6年間 みっちりと修業する道などあり、この場合、実力のある先輩調律師のアシスタントとしてしばしば現場に出るなどして、ピアニストやピアノ教師、ピアノ使用者との人間的交流を深めながら、接客の方法や礼儀、アドバイスの仕方などを身をもって学んでいくことになります。ピアノもお客様も違う以上、答えもいつも同じというわけではなく、お客様のピアノを調律するということは、毎日が「本試験」ということで、「自称調律師」ではとても立ち行かないことがよくわかります。

 本編に掲載の写真は、本場パリで活躍されている岡安明子さんのホームページ
 http://sound.jp/pianoparis/index.html やそのBlogから多く引用したもので、パリに出たきっかけや、その調律作業の様子などもよくわかります。ヘッドホーンのようなものをつけた作業中の写真がありますが、チューニングピンをピン板に打ち込む際に出るものすごい大きな音から耳を保護するために付けているそうです。


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 ビル・ゲイツの出題問題に関しては、HOW WOULD YOU MOVE MOUNT FUJI ? (Microsoft’s cult of the puzzle. How the world’s smartest companies select the most creative thinkers. )By William Poundstore の原書や、筆者の海外における友人たちの情報を参考にしています。
 また連絡先不明などにより、直接ご連絡の取れなかった一部メディア媒体からの引用画像につきましては、当欄上をお借りしてお許しをいただきたく、よろしくお願い申し上げます。

執筆者紹介


執筆者 梶谷通稔
(かじたに みちとし)

テレビ出演と取材(NHKクローズアップ現代、フジテレビ、テレビ朝日、スカパー)

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