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あなたはビルゲイツの試験に受かるか?
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その40:物事を孤立的にとらえず、柔軟で創造的な発想で
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 設問37、設問38でお伝えした「行き詰ったら発想の転換を」に関連して、「考え方の転換」という観点からの重要なサンプル例として、前回、京セラやKDDIを一人で作りあげた稲盛和夫氏を取り上げ、その人生出発点のさわり部分をご披露しましたが、そこでは志望した中学校に自分より成績の悪かった悪童たちが全員受かったにもかかわらず、小学校の担任ににらまれたがために悪く書かれた内申書のせいで、稲盛少年だけが受験に失敗したこと、それを皮切りに翌年、再度の挑戦にも試験日寸前の発熱により2回目も失敗、また高校での出来事、そして志望した大学、さらに志望会社への就職試験もすべて次々と失敗し、その内容は彼だけが貧乏クジを引くという巡り合わせに、とうとう義理人情のヤクザの世界に入ろうとまで考えた稲盛青年を見ていただきました。

 では、それが「考え方の転換」と一体どういう関係があるのか。その結論までには、もう少々お待ちいただき、次を見てください。
 そんな青年に心を痛めた大学研究室の担任教授のはからいで、やっとのこと教授の親戚が勤める京都の松風工業に青年の就職先が決まったものの、そこは、当時、応用化学出身の学生に一番人気があった職場、石油化学を中心とする有機合成化学の世界とは正反対で、成績のよい者は皆敬遠したという一番不人気の職場、無機化学の陶器、焼き物の世界でした。氏は言っています。

 「そこは碍子を作る会社で、私が入社する頃にはすでに赤字会社として銀行管理下に入ってしまい、再建途上。給料は最初から遅配、ボーナスどころではなかった。案内された会社の近くの社員寮は、今にも崩れそうな建物で、あてがわれた二階の床は今にも落ちそうだった。部屋に入ると、畳表はボロボロ、中の藁が飛び出し、まるで臓物がむき出しになったみたいに見える。先輩に教えられ、買ってきた花ござで表を覆い隠し、四方をピンで止めると、やっと人心地がつくという状態だった。
 寮には食堂などなく、毎日七輪で火をおこして自炊を始めたのだが、家族と親戚総出の晴れがましい見送りから一転、なんとも侘しい社会生活のスタートとなった。仕事が終ると、晩ご飯をつくるために買い物かごを下げて、近くの惣菜屋へ買出しにいっていた。
 もともとお金もなく、その上商品もほとんど売れてしまった閉店直前にしかいけないものだから、買えるものと言っても葱、天かす、油揚げぐらいしかない。それでも味噌汁に天かすを入れるとボリュームが出るので、毎晩それをおかずにご飯を炊いて一人で食べていた。そんなとき、くだんの惣菜店で店の主人に一度声をかけられたことがある。
「あんた、見ん顔やが、どこの社員や」
「松風工業です」 と答えると、びっくりした顔をして、
「ええ? あんなボロ会社にいてるんか。どこの人や」
「鹿児島です」
「そんな遠いところから、ようまぁ、あんなボロ会社へきたもんやな。あんた、あんなところにおったら、嫁はんもきよらへんで」と。

 そんな中で、会社での研究も、人間関係もうまくいかず、日が暮れると、寮の裏の桜並木が続く小川へ一人出かけ、そのほとりに腰かけて、唱歌の「ふるさと」をよく歌ったものだった。心の傷が積もり積もって、どうにもならなかった。私は思い切り歌うことで、自分を元気づけていた。しかし、社内外で会社の悪い評価ばかり聞く。自分の不運はいつまで続くのだろう。私はやる気を失っていくばかりだった」と。

 暗い夜道を買物かごをさげ、油揚げを買いに行く侘びしい自炊生活姿を、今の氏からはちょっと想像できませんが、これが現実でした。このあとも不運が続き、ますます「なぜ自分だけが」の思いが募っていきます。しかし、実はそれらが成功への土台となっていくのです。氏の言葉は続きます。

 「こんな会社だから同期に入った大卒5人の新入社員の間では、集まる度に“やめたい、やめたい”の声が大きくなっていき、そのうち1人辞め2人辞め、入社して半年も経たないうちに2人だけになってしまった。ある日、この2人でぶつぶつと愚痴を言い合っているうちに、いっそ自衛隊の幹部候補学校にでも入り直した方がよさそうだという話になった。
 そこで、早速次の日曜日に、近くの自衛隊の事務所で願書をもらい、1日会社を休んで伊勢の駐屯地まで試験を受けにいった。その結果、幸い2人とも合格することができた。

 そこで、入隊手続用に必要な戸籍抄本などを実家に頼んで送ってもらうことになった。ところが、彼のもとにはすぐに送られてきたのに、私のほうは待てど暮らせど届かない。ついに提出期限が切れて、自衛隊入隊はあきらめなくてはならなくなった。あとで親に聞いてみると、私の兄が“先生に頼んでようやく入れてもらった会社なのに、半年もしないうちに辞めるとは何事か”と猛烈に怒って、戸籍抄本を送ることに反対したらしい。結局、松風工業には同期で私一人が取り残されてしまった。
 意気揚々と辞めていく彼を見送りつつ、またもや私は、「自分の不運はいつまでつづくのだろうか」と途方に暮れた。ここに到って、はじめて私は深く考えたのです。
 八方ふさがりの状態で、いつまでもすねて、毎日ぶつぶつ言っていても、どうなるものでもない。どれだけ自分の人生をうらんでみても、天に唾するようなもの。決して無駄にすごしてはならない自分の、たった一度しかない貴重な人生ではないか、と。
 退路を断たれた私は、とうとうここで腹を決めた。たとえ働く環境が悪かろうとも、自分の運命をその傾きかけた会社で切り開いていかざるを得ないのではないか。どんな環境であろうが、常に前向きに生きてみよう、と考えを改めたのです。
 それから私の運命が変わった。それまでは不運ばかりがつづき、自分は何をしてもうまくいかない、ついていない人生ばかり送っていくものと思い込んでいたのが、心のありようを変え、仕事に一生懸命取り組むようにしてから、私の人生は、まさに好転しはじめたのです。
 原料を充填する際の圧力計すら無い会社の状態で、またそれを買ってほしいとは言えない新参者ゆえに、歩幅を決めて体重をかけ、それで圧力計がわりとし、コツコツと実験データをとっていった。こうして、研究に集中しているうちに、次第に思い通りの実験結果が出るようになり、地味な実験に明け暮れる毎日も楽しくなってきて、次々と素晴らしい成果が得られるようになっていったのです。

 やがて寮に帰るのも面倒になり、独身の気安さで、研究室に自炊道具と布団を持ち込み、そこで寝起きをするようになった。こうした寝食を忘れて取り組んだ結果、入社1年半後、フォルステライトという新しいセラミック材料の開発に日本ではじめて成功し、遂に松下電工という大手からの注文につながったのです」

 ここのくだりを見ていますと、ずっと長く続いていた曇天のその暗闇の中から、まさにパッと一筋の光が差し込んできた印象を受けます。長い闇からの解放。そうなったのは、ただ氏自身の言葉でいう“心のあり方を変え、考えを改めた”、つまり「考え方の転換」ただこの一点によるものです。
 くよくよすることによって、その問題が解決するわけではない。いつまでぶつぶつ言っていても、それは単に天に唾するだけ。たった一度しかない貴重な人生をうらみ続けて一生を終えることのむなしさに、青年がはじめて気づいたこのときこそ、氏の一生の中で、幸運への道に踏み出す最も重要なターニング・ポイントになった
わけです。

 ここまで見ていただければ、「考え方の転換」の重要性ということで、稲盛氏の例を引用した理由もおわかりいただけたことと思いますが、実は、これだけでは終わらないもっと重要なメッセージがあるのです。
 順調に行き始めた青年に、このあと、またもや災難がふりかかります。さらに大きな商談として日立より次の新しい製品開発の依頼が舞い込み、勇躍、全勢力で開発に挑むのですが、なかなかうまくいかないまま時間だけが過ぎていくそんなとき、負債の大きかった赤字会社の性、社長や氏の上司まで外から来た人に変わるのです。

 その上司とは、無機化学の世界とはまったく無縁の骨董屋まがいの人で、それまでの経緯もあまり知らないままあるとき、なかなか進まない開発の青年に向って言い放つのです。
“君の経歴と技術ではそこまで。後は私が他の技術者を入れてやる。君はこれから手を引いてくれ”と。氏はそのときの様子を次のように述べています。

 「鼻であしらい、何か小馬鹿にしたようなその言葉を聞いて、私は間髪を置かず言い放った。“それでは私は会社を辞めます。今日限り辞めます”と。過去の経緯も知らず、倒産寸前の会社の劣悪な環境の中であっても、夢を描き、寝食を忘れて仕事に打ち込んでいた、私たち若者の苦労を無視するばかりか、その心情をまったく理解しようともしない。そのあげくにこの仕打ち。そんな信頼も尊敬も置けない人の下では絶対に仕事はできない、そう考えたからだ。当時の役員たちは私の実績を買ってくれていたので、退職を考え直すように慰留に来たが、私も薩摩人のはしくれである。一度辞めると啖呵をきった以上は撤回するわけにはいかない。しかし、突然退社を決めたはいいが、その後何をすべきか、まったく何の考えもなかった」と。

 このあと、青年の実績を見込み独立の資金を出してくれる人が現れ、また青年を慕って共に退社した部下7人とともに創業を始めた会社、それが京セラでした。
 さて、ここまでの氏の足跡を振り返り、一考も二考もしていただきたい重要なメッセージは次のとおりです。

 次々と起こる「なぜ、自分だけが」と思わせた数々の出来事。もしも氏の中学受験、大学受験、石油会社の就職試験、そして自衛隊入隊がうまくいっていたとしたらどうでしょうか。阪大の薬学科を出て、薬剤師の道を進んでいたかもしれません。あるいは石油会社の、はたまた自衛隊の幹部になっていたかもしれません。任侠の世界で幅を利かせていたというとんでもないことも起こっていたかもしれません。
 しかし、どんなにうまくそれらすべての事が運んでいたとしても、今日のような氏の栄光はなかったということです。その一連の不運とばかり思っていたどの一つが欠けたとしても、セラミックという世界に入ってはいなかったのです。そして、就職先が赤字会社で、さらに理不尽な上司に接することがなかったら、新たに京セラを作ることもなかったということです。つまりこれら一連の流れは、氏の栄光、京セラの繁栄にはなくてはならなかったもの、と考えることができるということです。ここが非常に重要なところです。

 偶然と思われがちなことも、すべてつきつめていきますと、それは必然性につながります。これを、もし結果論として片づけてしまう人がおられたら、是非一考していただきたい。それは違います。すでに起こってしまった過去の、思い通りにならなかった不運な事象、これらは厳然たる事実でくつがえすことはできません。が、しかし、それを不運なままで終わらせるか、そうでないか、その重要なポイントは本人の意志で変えられるということです。
 愚痴は愚痴で終わってしまう一方通行。稲盛氏が、愚痴をこぼし続けていたら、変化は起こらなく、そこは物事を良くしていこうという意志が全く働いていない世界ゆえに、恐らくその後も、不具合が起こったことと思います。

 考え方の転換。ご覧いただいたように、外から見た物理的なものは何も変わっていなくても、氏の意志で、内なる心のありかた・考え方を“後ろ向きの姿勢から常に前向きに”と変えた、ただそれだけで過去の不運の連続が、幸運の連続の世界に“反転”してしまったのです。 ここに、結果論では片づけられない、“意志”という本人の意識がはっきりと係わっている点を見過ごすことはできません。この心のありようを変えるのに、膨大なエネルギーが要るわけではありません。しかしその中身は、すべてを変えてしまうような、ものすごい力をもっているということです。

 のちの京セラが発展する源流はこの時にあります。そしてそれが京セラだけにとどまらず、KDDIの設立にもつながって、今日の売上げ4兆5千億円も越える企業にもなったわけです。西洋にもEverything happens for the best.(すべては最善のために起こる/すべては最善に向って起こる)という格言がありますが、本人が事象をどう受け止めるか、心の問題が大であり、それによって人生が大きく変わっていくという非常によい例です。
 いみじくも松下幸之助翁も自分の日頃の体験から“問題は、不幸もまた結構だと解釈できるかどうか、という点が重要でんな”と、同じようなことを言っており、 “すべては最善のために起こる”でもあり、また“すべてが師”でもあるとの思いが重要だということです。

 以上、当連載の設問などとは別に、心の知能指数・EQのことや、その他、一般にも役立つ内容の話があれば、もっと知りたいという読者の皆さんからのご要望にお応えする形で、稲盛氏の足跡を前号とともにお伝えしました。

 では、今号の設問の解説に移ります。


問題 設問40 秤を使わないで、ジェット機の重さを量るにはどうするか。


 この問題はTVのクイズ番組などに出されたことがあるため、多くの方がすでに知っているかもしれませんが、しかし、それでも正確な解答ができるかどうか。
 ところが、同じ問題を隣国の中国で出したら、おそらく大部分の国民が正解もしくは正解に近い回答をするのではないかと思われます。もしも、ビル・ゲイツが中国でこれだけ知れ渡っている事実を把握していたら、マイクロソフトの面接問題などには使わなかったかもしれません。その理由はのちほど述べることにして、まずは解説です。

 この測量問題には2つのポイントがあります。1つは、量る対象物がとても大きい物体であること。もう1つは、秤、つまり重さを量る計量器が使えないということです。
 大きな機体をバラバラに分解してという考え方もありますが、とにかくそのバラバラにした断片を量るための秤が使えないわけですから、この案は最初から没です。
 しかしバラバラということから思いつくことがあります。それは部品レベルまでに落とすということからの発想で、機体に使用されているすべての部品は寸法や重さもきっちりと定められた仕様書に基づいて作られていますから、機体の仕様書を見れば、一発で正真正銘の全重量がわかるということです。
 でも、設問は「重さを量るにはどうするか」という量る方法を尋ねているわけですから、仕様書を見ることなどは問題外です。

 では、どうするか。先に挙げた2つのポイントの制約下でいろいろ考えていくと、辿り着くのは水を利用するという案となるはずです。
 つまり、当連載の一番最初の設問1で解説した「水中の物体はそれ自身の重さと同じ重さの水を押しのけるという排水量と浮力の原理」の応用です。
 それは機体を水の中に入れ、どれだけ排水したかを見る方法です。しかし、これには難点があります。機体が浮いている状態ならば、浮力の原理が使えますが、もしも沈むようならば、排水した水よりも機体が重いから沈むわけで、この場合はもはや排水量の重さ以上であることだけしかわかりません。
 また、たとえ浮いていて浮力の原理が使えたとしても、機体を沈めてその排水をきっちりと溜めておける、あるいは沈める前と後で水面の水位の差が見られるような、それこそ現実離れした巨大な設備の建設が新たに必要となり、他にもっと簡単な方法があれば、このような解答をビル・ゲイツは望んでいないはずです。

 そこで残るは、機体を乗せても沈まない大きな空母あるいはタンカーのような船に、機体をまるまる一機を運んで乗せられる小型機ならばそのまま、それが無理な大きさならば機体を最小限度に分けて乗せる案です。これは現実的です。この場合の測定方法は2つ出てきます。

 まずは第一案。機体を乗せたとき、船の水面位置、つまり喫水線に印を付け、その後機体を船から降ろし、次に重さの分かっている物品を喫水線の印のところにくるまで乗せていき、それら物品の重量を合計すれば機体の重さになります。
 この場合、秤がないという条件ゆえに、物品として重さのわかっていない石などをうっかり使ったらおしまいです。
 次に第二案。今度は船が沈まないということから、先ほどの排水量の原理が使えます。
機体を船に乗せる前と後で、船の喫水線の差から水の体積を計算し、それに水の密度をかければ機体の重さになります。この場合、体積からの計算ですから、秤は要りません。
 通常、空母やタンカーなどでは積荷の重量制限などから、喫水線などが設けられていますので、そのときの水位下にある船内体積、いわゆる排水量がわかります。

 さて、先ほど同じ問題を隣国の中国で出したら、おそらく大部分の国民が正解もしくは正解に近い回答をするのではないかと申しあげたのは、次のような事情からです。
 実は、この設問のジェット機という部分が、動物の象に代わっているだけという内容の話が中国の故事にあって、それは「象の重さをはかる話」として、童話や小学校の道徳教材用の教科書にまで出てくる有名な物語だからです。

魏国の王・曹操
魏国の王・曹操

 その故事とは三国志の中に出てくるもので、魏国の王・曹操に南国から今まで見たこともない象が贈られたとき、その重さはどれくらいかという話になり、量る方法が問われます。誰一人として答えられなかった中で、曹操の八男で10歳の曹沖が象を船に乗せて重さを量る方法を答えるという内容です。
 中国小学校3年生用国語教科書の教師用指導書を見ると、なぜ道徳教材なのかがわかりますが、そこには「曹沖は豊富な知識を有し物事を正しく認識する力を持っていただけではなく、高い知力を持ち、推理・判断・想像等の思惟活動を進め、習得していた知識を活用した結果、象の重さをはかるすぐれた方法を考案できた。教師はそのことを説明し、児童には周囲の物事に注意を払い、念入りに観察し、頭を働かせ、既習知識を活用するように促すこと。特に、曹沖は別個の物事どうしの関連を考える際に、孤立的、静的に問題をとらえないで、創造力に富み、他の人より聡明であったことを知らせること」と載っています。

2008年の切手 童話本
2008年の切手
童話本

 三国志の話とは別に、象の重さを量る話は仏教説話にも載っていますが、いずれにしましても中国では、曹沖の話は有名な物語として童話にもなり、また切手にもなって2008年も売り出されています。

 また、日本でも平成19年度経済産業省「理科実験教室プロジェクト」の授業指導案には、その授業タイトル「量るとはどういうこと?」の中で、<独創的な発想から有名になった旭山動物園は、数トンの重さを量れる台はかりを特注で製作し、象「ナナ」の体重を測定した、という裏話などを児童の興味をひきつけるために盛り込むこと>と載っています。

 さて、この設問出題の背景はといえば、すでにこれら教材の主旨が代弁してくれているように、物事を孤立的にとらえないで、柔軟で創造的な発想ができるかどうかを見ようというものです。


正解 正解40 【解答1】
機体を乗せても沈まない大きな空母あるいはタンカーのような船に、機体をまるまる一機を運んで乗せられる小型機ならばそのまま、それが無理な大きさならば機体を最小限度に分けて乗せる。機体を乗せたとき、船の水面位置、つまり喫水線に印を付け、その後機体を船から降ろし、次に重さの分かっている物品を喫水線の印のところにくるまで乗せていき、それら物品の重量を合計すれば機体の重さになる。
【解答2】
機体を船に乗せる前と後で、船の喫水線の差から水の体積を計算し、それに水の密度をかければ機体の重さになる。

 実際、1つだけではなく、この2つとも解答した応募者が合格したようです。もちろん仕様書を見ることや、機体そのものを水に沈める案は没ですが、方法としてはいいものの、重量比較の対象としてうっかりと重量がわかっていない石などの使用を答えないことです。

 では、やはりその背景を考えながら、次の設問をやってみてください。


問題 設問41 あなたは完全な円の形をした湖のちょうど中心にあるボートに乗っています。
湖の岸には鬼がいて、あなたを捕まえようと狙っています。しかし、幸いなことに、鬼は泳げなく、ボートも持っていません。岸まで行きついたとき、そこに鬼が待っていて、あなたをつかまえなければ、陸では必ず鬼をふりきって、逃げることができます。
では、問題です。鬼はボートの最高速度の4倍の速さで走ることができ、また視力も完璧で、決して眠らず、とことん論理的です。あなたを捕えるために、できることはすべてします。どうすれば、この鬼から逃れられるか。


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 ビル・ゲイツの出題問題に関しては、HOW WOULD YOU MOVE MOUNT FUJI ? (Microsoft’s cult of the puzzle. How the world’s smartest companies select the most creative thinkers. )By William Poundstore の原書や、筆者の海外における友人たちの情報を参考にしています。
 また連絡先不明などにより、直接ご連絡の取れなかった一部メディア媒体からの引用画像につきましては、当欄上をお借りしてお許しをいただきたく、よろしくお願い申し上げます。

執筆者紹介


執筆者 梶谷通稔
(かじたに みちとし)

テレビ出演と取材(NHKクローズアップ現代、フジテレビ、テレビ朝日、スカパー)

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