その33 2100億円でも安過ぎる
喉から手が出るほど欲しかったジフ・デービス社の出版部門。そのM&Aでは、アドバイザーにモルガン・スタンレーを、また会計監査にはプライスウォーターハウスをつけて、2万ページにも及ぶシミュレーション分析をおこなった孫青年でしたが、そのチームの一員として加わったプライスウォーターハウスの社員は次のように語っています。
“孫さんのリーダーシップは素晴らしかった。日本の過去のM&Aは銀行や証券会社に任せっきり。ところが孫さんは自ら腕まくりして先頭に立って指示を出した。
これは今までの日本の経営者にはなかったこと。チームのスタッフにはコピー係も含めて破格の報酬を払ったことから、アメリカでも話題になったほど”と。
しかしその分析資料に基づき、シティ・バンクやチェース・マンハッタンなどの著名な銀行から融資の内定を取りつけ、万全の体制で入札できるところまできたものの、その入札寸前に単独交渉権を使った投資会社・フォーストマン・リトル社に出し抜かれたのでした。
ところが、ここからが青年の違うところ。すぐさまその出版部門におまけのような形でくっついていた展示会部門・インターロップを、入札当日の土壇場で、先方の〆切り期限を深夜0時までと7時間延ばしてもらい、結果、200億円で買い取ることに成功したのでした。
このすぐにとった行動の背景は、前号で見ていただいた“コムデックスを買収できるかどうかは分からない。でもコムデックスに加えて、ジフ・デービス社の展示部門・インターロップまで買収すれば、米国IT展示市場の7〜8割を握れることになる”との言葉からもわかります。
無名のソフトバンクを世の中に知ってもらうため、起業したばかりのその出だしで、資本金1000万円の8割もはたき、大阪での見本市会場に専用のブースまで設けた結果、日本で3番目に大きい家電の販売会社・上新電機との取引が舞い込み、これが大きなビジネスのスタートになったという出発点のことを考えれば、このインターロップの買収と次にコムデックスのM&Aへと本格的な取り組みを始めた背景がよくわかります。
コムデックスは世界のコンピューター関連の最新技術と情報が集まる場
当時、アメリカのコンピューター見本市展示会の市場で、コムデックスは60%、そして買収に成功したインターロップは20%のシェアを占めており、合わせて80%。
このコムデックスはラスベガスに毎回20万人以上の関係者が来場し、そこで世界各地から2000社以上の会社が新製品を出品することで、世界のコンピューター関連の最新技術と情報が集まる場となることから、有力企業のトップも必ず顔を見せ、また世界100カ国から詰めかけるコンピューター関連のジャーナリストも、そのニュースを全世界に向けて発信することから、世界経済をリードするコンピュータービジネスの最前線となる重要な見本市でした。
孫青年は、前年1993年の秋、コムデックスを売却しようとしているオーナーの情報を得て、そのオーナーのアデルソン会長を一度訪ねており、その会長とは心が通じたと言っていました。
そしてこのM&Aを詰めていこうとしていた矢先に、ジフ・デービスのM&A案件が持ち上がったため、このコムデックスの案件は一時中断してしまいましたが、インターロップの買収が叶い、今度は一点集中してこのコムデックスのM&Aに全力投球した結果、インターロップの買収4ヵ月後の1995年4月、800億円で落札に成功したのでした。
こうしてアメリカのコンピューター関連の展示会におけるNo.1という圧倒的地位を手に入れたのです。
このM&Aにおける資金について、青年は「コムデックスを買収するときの資金は、金利の低い日本の銀行にお願いすることにしました。“できないという返事ならば、アメリカの銀行でやれるということがわかっていますから、即アメリカへ行きます”と言いますと、“いや、待て。やってみよう”となって、興銀さんを中心に大変協力していただいたんです。とても感謝しています」と言っています。
かくしてコムデックスのオーナーとなった孫青年は、この展示会のブランド力によって、ビル・ゲイツをはじめ、インテルやデル、オラクルやアップル、ネットスケープやロータスなど、IT業界のトップと対等に語り合えるポジションを得たのです。
そしてこの1995年暮れのコムデックスでは、前年のように会場係員の制止を受けることなく、栄えある展示会のオーナーとして、オープニングセレモニーの会場に集まった3,000人の前で、堂々とそのキーノートスピーカーであるIBM会長、ルー・ガースナーを紹介したのでした。
さて、入札寸前に取り逃がした大魚・ジフ・デービスの出版部門のことは、その後も青年の脳裏から片時も離れませんでした。
それは孫青年の思いを込めた“ジフ・デービスの出版部門はデジタル情報革命における宝島の地図なのです。この先、インターネット革命が来るのはわかっている。その中で、どこへ向かえばいいのか、何を抑えればいいのか、というピンポイント情報を集める能力が、世界一高いのです。このような宝島の地図を持っている会社だからこそ、僕はどうしても欲しかった”との言葉からもわかります。
そしてジフ・デービスの出版部門の新しいオーナーが投資会社であるということから、やがてまた売りに出されるに違いないと読んでいた青年は、次のように語っています。
M&Aリターンマッチとメインバンクとの契約書の縛り
【 名実ともに展示会分野で世界一になってしまうと、今度はやはり<どうしても出版分野も>との思いが日に日に募っていきました。そして再度挑戦する機会をうかがっていました。というのも強談判でその出版部門をさらっていったのはフォーストマン・リトルという投資会社だったからです。
あくまでも投資会社である以上、M&Aを次々と投資の対象として見ているはずで、そこの経営までは考えていないと思ったからです。
だからコムデックスをM&Aした半年後くらいに、この投資会社の社長を訪ねたのです。そしてやはり価格次第では、再び手放さないとも限らないという状況を知ることができました。
我々が前回シミュレーション分析で出したときのM&A価格は1,400億円でしたが、それより先に強談判で手に入れた先方はそれ以上出しているはずで、時間も少し経っていましたから、かなり上乗せした金額になるものと推測しました。
そこですぐに資金の工面に取りかかろうとしたのですが、困った問題にぶつかったのです。コムデックスのM&Aの際、興銀さんをメインとする日本の銀行団から500億円の融資をしていただいたのですが、そのとき或る契約をしていたのです。
それは、「今後M&Aなど新たに投資するというときには、事前にこの銀行団の書面による了承がないとできない、またその金額の上限を80億円とする」というものです。
その時点では、しばらくM&Aはやらないだろうと思っていましたし、ジフ・デービスの出版部門にしてもこんなに早くチャンスがくるとは予測していませんでしたから、こちらも納得して契約書に合意のサインをしたんです。
ですから、先方には何の落ち度もありません。だから今回の突然のチャンス到来によって、無理を承知で、できたら契約をちょっと見直してくれませんか、とお願いしたんです。
すると“孫さん、それは頼むほうが無茶ですよ”と言われました。ダメだ、まかりならんということです。たった半年そこそこ前の合意でしたから、それも当然です。でもやはりあきらめ切れないでいました 】と。
フォーストマン・リトル社の社長から“価格次第では、再び手放さないとも限らない”という言葉を引き出した時点で、青年は小躍りしたはずです。
というのも間髪入れず、その後に価値が上がっていると思われる買収金額の概算算出と、その資金の工面にさっそく取り掛かっているからです。
孫氏の経営という観点から随所に見られる特長は、電光石火の行動とその過程で立ちふさがるハードルの高い難題に常にチャレンジしようとする姿勢です。
今回もその特長が見られます。ではその難題にどう立ち向かったのか、続けて氏は次のように語っています。
資金の間接調達から直接調達へ
【 ところがソフトバンクの財務の担当者がその契約書をよく読んでみると、6割ほど返済したら、その契約の縛りがなくなるということがわかったのです。
そこで、“借りていたお金を返済します。それなら契約の縛りがなくなるという条件ですからどうでしょうか”と尋ねたところ、“そんなには返せないでしょう”と言われました。
店頭公開したばかりの企業では、数百億円もの金をすぐには集められないと思われていたのでしょう。
以前、野村證券でソフトバンクを担当していた部長を、私どもの常務としてスカウトしていましたが、彼のアイデアでは資本市場を使ってお金を調達できるというのです。
それまで日本では、銀行からお金を借りて事業をやるという、いわゆる間接調達ばかりでしたが、このアイデアというのは証券市場からお金を集めるという直接調達という方法です。じゃあそれで調達しようと決断したんです。
野村證券他、証券会社は全部OKで、お金は調達できることになりました。ただしそのとき、証券代行の幹事会社、つまり事務手続きの代行を普通はメインバンクにお願いするんです。
証券会社はお金を集めてくれるわけですけど、もし万が一ソフトバンクが倒産した場合には、出資した側のさまざまの事務手続きを代行する業務が必要になります。それを通常はメインバンクがやるのが慣例となっていました。
そこで興銀さんにお願いしようとしたところ、引き受けていただけなかった。どうしてですかと聞くと“いや、今お金を返されると困るから”と言われる。引き受けてもらえないとお金が返せない。ジフ・デービスの出版部門をM&Aできない。
“それでは他の銀行で幹事会社になってもらえるところにお願いしますが、いいですか”と聞くと“どうぞ、でも今後、何があっても、うちとしてはお手伝いできなくなります”と念を押されました 】と。
それでも青年は、“一度しかない人生に悔いを残さないように”と、次のように言っています。
M&Aはタイミングが勝負、メインバンクとの決別
【 我が社の幹部からも“メインバンクを持たないで、まさかのときはどうするんですか”、“企業経営にはイザという「時」がある。その時のためにも銀行とは良好な関係を作っていた方がいい。ソフトバンクが他社に先がけてまで、いろんなことを最初にやらなくてもいいんじゃないですか”と危惧する意見が多く出ていましたが、しかしM&Aはタイミングが勝負です。
そこで「あくまでも自分の夢を持ち続けたいから」と、他の銀行さんにお願いにあがりました。しかしそこでも“メインバンクの興銀さんが引き受けないのに、うちがなるわけにはいかんでしょう”と言う。銀行同士で話し合いがあったようで複数の銀行に断わられました。
結局、証券会社系で、野村證券の関連銀行にお願いして幹事会社になってもらうことになったのです。1993年10月には商法が改正されて、出資者が少ないケースでは、従来とは違う手続きによる社債発行もできるようになっていました。社債管理会社を置かないという方法です。
大蔵省の方でもこのやり方を認めるかどうか、銀行局と証券局の間でもめたようですが、法律的にはまったく問題ありませんでしたから、結局、日本初の財務管理方式というやり方で社債を発行し、資金を調達することにしたわけです 】と。
こうして1995年9月、社債発行により証券市場から500億円を集め、それでまずは銀行への返済を済ませます。
そしてこの新規M&Aへの足かせが取れると、その2ヶ月後には時価発行増資で665億円、その1ヶ月後には償還期間の異なる3つの社債で合計700億円、さらにその1ヶ月後の1996年1月には転換社債で700億円と、矢継ぎ早に資金を集め、この1996年2月で新M&Aへの払い込みは完了します。
上場1年そこそこの会社が日本初の方法で、たった5ヶ月の間に総額2,565億円もの資金を調達してしまったことに日本中が驚いたものです。
ときに氏は38歳になったばかり。この買い物について、氏はこんなふうに言っています。
2100億円だって安過ぎる
【 金額は2,100億円。まわりからは無謀な投資だとさんざん非難をあび、冷笑されました。でもM&Aしたのは、いずれも現に世界でトップシェアを握って儲かっている企業だけです。事業を伸ばすには、どこかでブレークスルーが必要です。それが、今だと思ったのです。
コンピューター業界の成長速度から考えると、しりごみすれば誰かに取られるか、M&A金額がもっと高くなるかのどちらかです。
ソフトバンクが、展示会、雑誌出版というコンピューター関係の情報「インフラ」分野で世界一の会社になったことを考えると、安い買い物をしたと思っています。
尊敬する織田信長がやったように、コンピューターの世界で「楽市楽座」を作りたいのです。せっかくの一度しかない人生ですから、悔いを残さないように思いっきりやってやろう、そのほうがずっと面白い、と思って決断しました 】と。
そしてまた、M&Aチームを構成したモルガン・スタンレーの専門家が、
“1年前、企業価値として1400億円と見積もったものが、この短期間に700億円も上がったことをどのように説明するか、バランスシートをつくることは難しい”と青年に進言すると、答えは明快。
“価格が高過ぎるって? 君たちは誤解をしているよ。今回、損をするのは我々ではない。損をするのは100%ジフ・ファミリーだ。1年前にジフ・ファミリーは安く売りすぎたんだ。2,100億円だって安過ぎる”
というものでした。
ジフ・デービスは宝島の地図を持っていると言っていた孫青年。このあとどうなったか。「2100億円でも安過ぎる」が現実となるのです。
(連載・第三十三回完 以下次回につづく)
執筆者 梶谷通稔
(かじたに みちとし)
- 岐阜県高山市出身
- 早稲田大学理工学部応用物理学科卒
- 元:米IBM ビジネス エグゼクティブ
- 現:(株)ニュービジネスコンサルタント社長
- 前:日本IBM GBS 顧問
- 前:東北芸術工科大学 大学院客員教授
- 現:(株)アープ 最高顧問
- 講演・セミナー・研修・各種会合に(スライドとビデオ使用)
コンピューター分析が明かすリクエストの多い人気演題例
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- 求められるリーダーや経営者の資質。
- 栄枯盛衰はなぜ起こる。名家 会社 国家衰亡のきっかけ。
- 人生1回きり。あなたが一層輝くために。
テレビ出演と取材(NHKクローズアップ現代、フジテレビ、テレビ朝日、スカパー)
出版
- 1988年 『企業進化論』 (日刊工業新聞社刊)ベストセラー 9ヵ月連続ベスト10入り
- 1989年 『続・企業進化論』 (日刊工業新聞社刊) ベストセラー 6ヵ月連続ベスト10入り
- 2009年 『成功者の地頭力パズル・あなたはビルゲイツの試験に受かるか』 (日経BP社)(2020年の大学入試改革に一石を投じる)
連載
- 1989年~2009年『企業繁栄・徒然草』
(CSK/SEGAの全国株主誌) - 1996年~2003年『すべてが師』(日本IBMのホームページ)
- 2005年~2016年『あなたはビル・ゲイツの試験に受かるか』(Web あーぷ社)
- 2017年~進行中『ソフトバンク 孫正義 物語』(Web あーぷ社)
新聞、雑誌インタビュー 多数
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