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その5 トップへのアプローチ

世界一遅い通信速度でありながら、世界一高い料金だった日本の通信事情を憂い、そこに風穴をあけようと挑んだのが、ブロードバンドの世界、ヤフーBBでした。
当初その普及のために、電話回線の信号とコンピューターの信号とを相互に変換するコンピューター通信用の装置、いわゆる高価なモデムを街角のいたるところで無償配布するという、度肝を抜くような販促を始めたわけですが、その片鱗は孫氏が12歳、小学生のときにおけるクーポン券の配布という発想に原型があったことを、前回の連載その四の中でおわかりいただけたものと思います。

モデムといえば、1個1万円くらいはするものです。その無償配布という行動は、世界に遅れをとっている日本の通信業界に革命をもたらすためにという強い志によって始められたことがわかります。
その“お気軽お試しキャンペーン”があった2003年当時、無償とした器具やシステムなどは、どこかに不備があるのではと多くの人たちが想像してもおかしくない状況だったと思います。しかし、当時の体験者はこんなことを言っています。

 「無料お試し期間を過ぎたあとで本申込をすれば、当然、それ以降からは請求が発生します。しかし実際、そのままお試しだけで終わったら、ADSLの料金もNTTの工事費もすべて無料だった。さらにBBフォンの通話料も無料だった。それどころか国内通話はもちろん、携帯への通話、なんと国際通話まで無料。実際に、国内・携帯・海外に電話をしてみたがちゃんと機能していて、それでも一切請求がこなかった」と。

このことからもこの販促に全力を傾け、ブロードバンドの普及へと猛進していたことがわかりますが、その初期投資費用の回収は、時間の問題だということを、氏の少年期におけるクーポン券配布の体験から読み取っていたことも想像できます。

さて前回お伝えしたように、氏は12歳の少年のころについて、“私の家族は極貧生活から抜け出し、かなり落ち着くようになっていた”と言っていますが、リヤカーに乗っておばあさんと一緒に豚の餌を求め、近所の食堂裏を回っていた幼少時のころと比べれば、この時期における生活は、かなり楽になっていたと考えられます。
当時、一家は佐賀から北九州市に越して、父親が魚の行商や飲食店経営、やがてパチンコ経営まで始めていたという事情があったからです。

 その北九州市の小学校時代、担任であった引野小学校の三上喬先生は、“どの子にも優しく親切で、しかも間違っていたら説得力があって、引っぱっていく生徒だった。他のみんなは少しは敵をつくるのに、全員、彼のことをやっちゃん、やっちゃんと言って慕っていた”と、当時、安田姓を名のっていた孫少年のことを振り返っています。
このことから、少年は清く正しく優しい心の持ち主で、すでにリーダーシップと説得力が芽生えていたこともわかります。

 その小学校を卒業する段になると、今度は家族とともに博多に移ることになります。それは父親の意向によるものでした。
父親は、それまで自分のおかれてきた境遇から「子供には教育が財産」と、人一倍、身にしみて感じていたものと思われ、孫少年を名門高校に進学させるために、わざわざ引っ越しまでして福岡市立城南中学校に編入させたのです。

そしてその中学1年生のとき、こんなことがありました。
放課後、孫少年がまだ一人残っていた教室に、”一緒に帰った○○君が、途中不良に取り囲まれて小遣いをせびられている” と、下校中の女の子が駆け込んできたのです。
それを聞くや否や、孫少年は一目散に学校を飛び出していきます。しかし、相手はあいにくと年長で評判のワルだったようで、しかも多勢に無勢。あとで戻ってきた少年の顔は膨れ上がり、鼻からは血が噴出していたとのこと。

この一件からも、少年の優しい思いやりの心と正義感の強さが見てとれます。昨今、意図して、あるいはそれを知りながら不正に手を染めた会社のトップや幹部がマイクの前に並んで、深々と頭をさげて陳謝する様が、次々と報道されていますが、曲がったことに対して憤然として立ち向か孫少年の資質は、そのまま大人になっても引き継がれ、自分の名前をもじって、“損(孫)しても正義、私はこの名前が大好きです。損するような時でも、正義を貫き真っ正面から堂々と人生を歩みたい”、と言っているように、ごまかしや不正の世界とは無縁の氏ということです。

 この福岡市立城南中学校時代の担任・小野山美智子先生も、当時を振り返り、“いつもニコニコしながらも、自分の言うべきことをピッシッと言えて、思いやりがあり優しく、そして まとめかたがうまかった。家庭環境に恵まれない子供や身体的に弱い子などに、特に声をかけ、励ましていた孫少年の光景をよく覚えています” と言っています。

優しく思いやりがあって、まとめかたがうまかったというリーダーシップのところは、前述の小学校担任の受け止め方と同じですが、恵まれない弱きものを思いやり励ますという資質はそこに新たに加わるものです。
これは、孫氏が社会人となって語っている“大義名分はどうでもいい。見もしない知りもしないどっか遠くの国の山ん中で、どろんこで顔を汚した小さな女の子が、孫正義のやった仕事なり、ソフトバンクがかかわったものに、ニコッと笑顔で“ありがとう”と一言、ちっちゃくてもいいからつぶやいてもらえたら、喜んでもらえたら、それに勝る幸せはない。つまりたった1人でもいい、人知れず喜んでもらうことのために、自分に残された人生を過ごせたら最も幸せな気持ちになれる”に通じる言葉となっていることがわかります。

そしてこのことは、東日本大震災のとき、すぐに多額の寄付を申し出た経緯にもつながっています。
2011年4月3日、氏はその復興資金として100億円の寄付を申し出ました。個人としてです。
さらにその上、2011年から引退するまでソフトバンクグループ代表として受け取る報酬の全額も、震災で両親を亡くした孤児の支援として寄付すると発表しています。

 氏は、この寄付申し出前の3月22日、福島県の避難所を訪れ、被災者数万人への携帯電話の無償貸与に加えて、震災孤児対象に18歳までの通信料の完全無料化も表明しました。
そしてこの申し出た100億円の寄付金は2011年7月14日日までに支払いを完了しており、その内訳は日本赤十字社・中央共同募金会・岩手県・宮城県・福島県にそれぞれに10億円、日本ユニセフ協会などの「震災遺児への支援を行う公益法人」に6億円、茨城県・千葉県に各2億円。そして自身が会長を務める東日本大震災復興支援財団に40億円というものでした。

この中学時代、またもう一つ、少年は新たな一面を覗かせています。
同じクラスに “一体、どげな勉強しとると?” と、孫少年が尋ねるほど成績がいつも断トツの親友がいました。しかしこの秀才君はその反面スポーツが苦手でした。
だからマラソンとなるといつもビリを走っていて、その体育の授業では “最後まで一緒に走ってやるけん” と、何人もの友人がこのビリ少年に声をかけるものの、実際のゴールまでには友人たちの姿はありませんでした。
しかし、秀才君は言っています。”やっさんが初め、一緒に走ろう言うたとき、僕は「またか」思うちょった。ばってん、最後まで走り続けてくれたんは、やっさんだけやったもんね” と。

優しい心は、このときにも現れていますが、他の生徒には見られなかった新たな一面、 それは、「約束は違えない」という資質です。
後年、外資系ITベンチャーが数多く日本に上陸する際、孫氏はコーディネーター役を演じ、その持ち前のねばりと熱意で出資者を募り、次々と多くの合弁会社や日本法人の設立を実現させていきました。
しかし自分の関与したシスコシステムズが、のちに意に反して日本法人の株式を公開しないという方針を固めてしまった際には、徹底的に少数株主を回って、誠心誠意詫びています。

一つ間違えば「ペテン師」の烙印を押されかねないコーディネーター役でしたが、いかなるときも決して後ろ指をさされるようなことはしまいと決めている氏は、損(孫)しても正義を貫いています。
やはり当時ビジネスランドに出資していた東芝・副社長の言っている、次の言葉でそれがわかります。

“彼の熱意に打たれて、うちは7億円くらい出資したのかな。でもその会社があとで解散に追い込まれたとき、孫さんは全額払い戻してくれた。「もし失敗したら、僕が個人で全部かぶってお返ししますから」という最初の約束を、彼はちゃんと守り、逃げるなどということをしなかった” と。

 さて、今度は中学3年生のときです。翌春の高校受験に備えて本格的な勉強を始めたその夏、
「おばさん、たってのお願いがあると。今から母ば連れて行くけん聞いてくれんね」と、突然、あの「秀才君」の母親に電話をかけるのです。
そしてそのあと、自分の母親を伴って訪れた孫少年は、一方的に切り出すのです。

「前の学校でオール5やった。ばってん、ここ博多の中学に来たらオール2になってしもうたもんね。そんで、成績が1番の「秀才君」に負けんよう一生懸命勉強ばしたと。けど追いつけんかった。
彼に“どげな勉強しとると?” と訊いたら“通知表を持って森田塾に行ったらよか”と、そげんこと言いんしゃった。そんで通知表ば持って塾へ行ったと。ばってん入塾ば許してもらえんかった。そんで、おばさんの力で口添えばしてもらえんかと、お願いに来たと」と。

 この森田塾とは、地元の修猷館をはじめ、鹿児島ラ・サールや久留米大学附設高校といった名だたる進学校を目指す生徒を対象にした塾でした。
当時この親友のおばさんが、塾の保護者会の委員をやっていて、また森田塾館長とも懇意にしていたことを孫少年は知っていたことから、直接頼みに行ったのです。
この孫少年の意気込みに圧倒されたおばさんは、今度は孫少年の母親と3人で、森田館長宅を訪れることになります。
結果、”少年の執念は凄まじかった”と言わせるまでに館長をも圧倒し、ついに入塾の許可を取り付けてしまったのです。

 こうと思ったら、誰であろうがキーマンへのアプローチにまっしぐら。そして相手は、そのひたむきであふれんばかりの情熱・熱意・迫力に圧倒されるのです。
この資質と交渉事例については、これから折に触れご紹介していきますが、最近の英国メイ首相、プーチン大統領、トランプ大統領との会談にまで、その例は数えきれないほど随所に見られるものです。
ちょうどよい機会なので、やはり少年時代にあった、同様の事例をここで見てもらいましょう。

それは16歳の高校生になったばかりのときです。相手は日本マクドナルドの創設者・藤田田氏で、孫少年が1日に5回も読んだこともあったと言っている藤田氏の著書「ユダヤの商法」にむちゃくちゃ感動し、1973年の夏、直接藤田氏(当時47歳)に何度も電話したことに始まります。
以下、のちにユニクロの柳井社長との対談として、プレジデント誌に載った孫氏の言葉です。

 【どうしても藤田さんに会いたいと思ったので、久留米から藤田さんの秘書に、毎日、電話したんですよ。文字どおり毎日。でも断られました。
当時、市外電話の料金はものすごく高かったのです。だから電話をかけるより、直接、会いに行ってやろうと、アポイントも取らずに飛行機に乗ったんです。羽田空港に着いて、そこから藤田さんの秘書に連絡し、次のように伝えました。

「私は藤田さんの本、「ユダヤの商法」を読んで感激しました。ぜひ、一度、お目にかかりたいのです。しかし、藤田さんがお忙しいことは重々、承知しています。顔を見るだけでいいんです。3分間、社長室の中へ入れてもらえればそれでいい。私はそばに立って、藤田さんの顔を眺めています。目も合わさない、話もしないということなら藤田さんのお邪魔にはならないんじゃないでしょうか」と。

そして秘書の方に言いました。「私が話した通りのメモを作って、それを藤田さんに渡してくれませんか。メモを見て、それでも藤田さんが“会う時間はない”と言うのなら、私は帰ります。ただし、秘書のあなたが判断しないでください」と。
それで先ほど言った内容をメモしてもらい、電話口で読み上げてもらって、「てにをは」の間違いを直してもらったのです。そうしたら、よし、15分だけ会おうということになったんです。
そしてその会話の中で、 “今度アメリカに留学しますが、アメリカでは何を学べばいいでしょうかと訊いたところ、藤田社長は、これからはコンピュータビジネスの時代だ。オレがおまえの年齢だったら、コンピュータをやるとおっしゃった 】と。

 いかがですか。アポイントも取らずに、九州から飛行機で羽田へ。しかもまだ高校生。その熱意とねばり。さらに空港という場所からの電話に、秘書に伝えたメモの内容。短時間の面接と言えども、このような状況下では、なかなか断れるものではありません。
のちに藤田氏も、述べています。
「孫君との初対面はよく覚えていますよ。5回も、6回も電話してきてね。会ってくれと。ずっと断わっていたんだけど、ついに羽田まできたから会ってくれってね。
普通、面会を求める人間で3回断われば、もうそれ以上連絡を取ってくるものはいません。それが6回断わられたにもかかわらず、7回も連絡してきたんですからね。
その時、この子はいける子だと思いましたよ」と。

藤田氏の感じたとおり、その後、大きく飛躍している今日の孫氏については誰もが知るところです。少年時代に今日の孫氏の片鱗が伺われるところはまだまだあります。引き続きご披露してまいります。

(連載・第五回完 以下次回につづく)


執筆者 梶谷通稔
(かじたに みちとし)
  • 岐阜県高山市出身
  • 早稲田大学理工学部応用物理学科卒
  • 元:米IBM ビジネス エグゼクティブ
  • 現:(株)ニュービジネスコンサルタント社長
  • 前:日本IBM  GBS 顧問
  • 前:東北芸術工科大学 大学院客員教授
  • 現:(株)アープ 最高顧問
  • 講演・セミナー・研修・各種会合に(スライドとビデオ使用)
    コンピューター分析が明かすリクエストの多い人気演題例
  • 始まったAI激変時代と地頭力
  • 始まったネット激変時代と成功する経営者像
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  • 求められるリーダーや経営者の資質。
  • 栄枯盛衰はなぜ起こる。名家 会社 国家衰亡のきっかけ。
  • 人生1回きり。あなたが一層輝くために。

テレビ出演と取材(NHKクローズアップ現代、フジテレビ、テレビ朝日、スカパー)

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