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その25 新たな出版の失敗 今度の発明品はアダプター

 1983年の春、孫青年が医師から重度の慢性肝炎の診断を受けてからの病床時期へと話を戻します。病床で日常的に最高経営責任者(CEO)の役割をできないことから、急遽、当時シャープの専務だった佐々木氏に相談するのです。  
 この佐々木氏については、当連載の中でしばしば触れていますが、孫青年が大学時代に発明した音声翻訳機を購入してくれ、また資金難に陥っているとき、自分の家を担保にしてまで銀行からの融資を引き出してくれた大恩人です。
 その佐々木氏が労をとって紹介したのが、以前、野村証券部長のあとセコムの副社長をしていた大森康彦氏でした。さっそく大森氏を新しい社長として迎え入れ、孫青年は会長に退くことになります。
 この大森氏は証券界のOBだったゆえに、金融界におけるソフトバンクの信用力が一段と上り、その後、日本ソフトバンクの業績が順調に伸び始めます。
 しかし社長を退いたとは言っても、病の身でありながら青年の仕事への思いが衰えることはありませんでした。

 さて、この連載のその1でお伝えしていますように、孫氏の考え方や行動を臨場感あふれる形でご参考にしていただけるよう、私の言葉よりも、できるだけ本人自身による生の言葉をそのまま引用してお届けするよう努めております
 では、その社長交代のあとどうなったか。引き続き青年の語る言葉を次にみてください。

新しい事業への構想 出版の失敗

【 新しい社長を迎え、私は会長に退いた。 とはいえ会社の仕事から手を引くつもりはなかった。 病室にパソコンとファックス、電話機を設置した。 医師に叱られながら遠隔経営を始めた。 新しい事業も熱心に構想した。
 病気療養の真っ只中にありましたが、出版事業が軌道に乗ってきていたことから、1984年の半ば、新規事業として別会社「日本データネット」を設立し、私はそこの社長になりました。
 そこで始めた事業の一つが雑誌作りで、消費者に身近な商品が、どこでいくらで売られているかを徹底的に調べてデータベース化し、それらのデータを満載した雑誌を売る事業です。 

 ところが売り出してみると、当てが見事にはずれ、この雑誌はまったく売れなかったのです。以前、異なったメーカーのパソコン雑誌を創刊したときも、やはり当初、売れ行きが芳しくなかったことがあり、そのときは読者カードの徹底した分析とテレビCMなどで体裁を一新し、巻き返しを図りました。すると当初の目論みをはるかにオーバーする売れ行きで、たいへんうまくいったのです。
 だから今度もその経験を生かそうとしたのですが、ほとんど売れない商品に返ってくる読者カードもないため分析もできず、またテレビ宣伝もしたものの結局ダメで、毎月1億円の赤字となり、半年後には総額10億円の赤字を抱えるまでになってしまったのです。
 こんな状況下、とうとう廃刊を決意せざるを得なくなったわけです。初めて経験する事業の失敗、結果、残ったのは10億円の借金だけでした 】と。

 命をあと5年もたせられるかどうかと、医師から宣告された病床にありながら、病室にパソコンとファックスを設置し、事業に対する情熱の炎を燃し続けていられたのは、当連載その21と22で見ていただいた如く、病床で読んだ龍馬の生き様や孫子の兵法が後押ししていたものと思われます。
 こうして廃刊を決め、その借金を返すために、なんとかしなければと病床で思い悩んでいたときは、まさにまもなく電電公社が民営化されるときでした。
 そして1985年4月1日、NTT株式会社がスタート、そのほか新たに民間の新電電も誕生し、通信サービスの競争時代の幕が切って降ろされることになります。
 日本に通信事業が始って以来、この画期的な規制緩和によって生まれてくる電話・通信の市場規模は、青年の目におぼろげながらも莫大なものになるだろうと映っていました
 ここで頭をもたげてきたのが、大学時代の発明体験です。この電話・通信の規制緩和で、何か新しいアイデアとして、より世の中で役立つものを作り出せないか、と。
 孫青年は語ります。

アダプターの構想

【 あの巨大な電電公社が民営化され、また民間の電話・通信会社が実際に誕生したのを見て、世の中の通信事業に大変革の波が押し寄せてきたことを実感していました。世の中が大きく変化しているときこそ、またビッグ・ビジネス・チャンスでもあります。
 そこに何かビジネスに結びつくものはないか。しかしこの電話・通信という分野は、これまで自分の係わっているビジネス領域とまったく別の世界で、その知識、技術とは無縁の世界にいました。
 ところがそんなとき、ひょんなことから我が社の取引先で、電話機などを販売しているところの社長さんと面識を持つことになったのです。

 ある日、そことの窓口を担当しているうちの課長から“我が社よりソフトを購入している新日本工販(注:現フォーバル)の社長さんは、大変面白い人なので一度お会いになってみてはいかかですか”と言われたのが始りです。
 赤字の穴埋めに頭をかかえていたころで、規制緩和された電話・通信市場で何かビジネスになるものはないかと思案・模索していた矢先でしたから、すぐにその人に会う手筈を取りました。
 その人は創業者、大久保秀夫氏でした。私より3歳年上のパリパリの経営者で、会社は電話機を主としてOA機器などの販売で急成長した企業でした。
 渋谷の本社を訪ねたその初対面以降は、夜の10時や11時に会ったり、時として週に2、3度と連絡を取り合いました。会話のほとんどが新電電は成功するのかどうか、またどうすればこちらのビジネスに結びつけることができるのかとったことでした。そして、その会話を重ねていくうちに、前からひらめいていたアイデアが確証に変わっていったのです。

 そのポイントは、NTTよりも電話料金が安いかわりに、煩雑を強いられる新電電のデメリット部分でした。安い新電電の回線を使うには、相手先の電話番号の前にさらに4ケタの数字を回す必要があったのです。
 だからこの4ケタの数字を回さなくても、もし普通の使い慣れた従来のダイヤルをするだけで、最も安い新電電の回線へと自動的に繋いでくれるといったアダプターを開発すれば、新電電にとっても自然にお客が取れることになります。だから、これは大きなビジネスになると思ったのです。
 そうすれば、このアダプターによる恒常的なロイヤリティー収入が見込めることになり、借金も確実に返せますし、会社も安定すると考えたのです 】と。

 こうして大学時代に音声翻訳機を開発した経験もあったことから、今度はアダプターの実現へと思いが募り、青年はその開発へと動きだすのです。
  入退院を繰り返していた青年は、虎ノ門病院の熊田博光博士が創案した「ステロイド離脱療法」という新しい治療法により、ちょうどこのころ抗原(ウイルス)が消えて、半年に1回検診を受ければいいというほど完全治癒に近い状態になっていました。
 この治療法は、慢性肝炎を急性肝炎に変え、人体内部の抵抗力を一気に引き出して治療するという一種のショック療法で、今日では治療法がたくさんあるものの、当時はあまりなく、発表されたばかりのこの治療法は、学界で「一時的に薬を抑制して、患部を悪化させる? そんなものは治療ではない」という意見が圧倒的だったことから、孫姓年も迷いに迷ったようです。

 そこで背中を押してくれたのが、再び龍馬の言葉でした。薩長の秘密会談をお膳立てしたその夜、床に就く龍馬に付き人が、用心のため短筒か刀を枕元に置くよう勧めるも、龍馬は“生きるも死ぬも、物の一表現に過ぎぬ。いちいちかかわずらっておれるものか。人間、事を成すか成さぬかだけ考えておればよい”と言って意に介さなかったことに、いたく感銘を受けた孫青年は、 “そうか、生死のことは天に任せ、事を成すことだけに集中すればいいのだ”と、この療法を受ける決断したのです。
 今日の孫氏を見れば、この決断が青年の命を救ったことがよくわかります。

 この治療法は熊田博光博士が慢性肘炎にかかっていた63才の或る女性患者の実例から発見したものでした。この患者には病院で従来の治療法であるステロイドをずっと投薬していたのですが、ある日、彼女のからだから抗原か消えていることに驚き、追跡検査をしたのです。
 漢方薬でも欽んでいるのか、いろいろ調べた結果、女性は入院中、看護師の指示に従いステロイド剤を欧んでいたものの、退院後に欽むのをやめ、退院してからいっさい飲んでいないことが判明したのです。

 急性肝炎は治るが、慢性肝炎は治らないというのが一般の理解なのに、治療薬を飲むのをやめて、逆に抗原が消えたのはなぜか。それはステロイド剤をやめたために、逆に免疫力がついて抗原を消したに違いないという考えに至ったのです。
 そこでまず、短期間にステロイドを投与して免疫力を抑える。その後、投与をやめて、急性肝炎を引き起こさせて、いっきに洽してしまう。いわぱショック治療方法です。この事実は発想の転換を暗示していたのでした。
 こうして元気を取り戻した青年は、アダプター開発に向け邁進します。このアダプターとは正式名をLEAST COST ROUTER – AUTODIALERと言い、最安電話会社選択装置とでもいうもので、青年は続けて次のように語っています。

アダプターの開発へ

【 さっそく外部からの技術者も招聘し、設計と試作品の製造にとりかかりました。また、これまで何度もお世話になってきたシャープの専務・佐々木氏のアドバイスも受けて、1年弱、苦労の末やっと試作品を完成させました。
 このアダプターの機能を超LSIカスタムチップ化し、電話やファクシミリに組み込む仕組みまで開発しました。これは、電話料金が変更になった場合に、電話会社のホストコンピュータがこの装置を呼び出して新しいデータを入力し、自動的に最新の料金率に変更する仕組みです。
 最初の売り込みとなったのは、1986年12月24日、クリスマス・イブの午後、寒い日でした。「NCC BOX」と名付けた試作品を持って、大久保氏とともに第二電電(DDI、のちのKDDI)を訪れたのです。
 すでに第二電電はその2ヶ月前、東海道ルートの専用サービスを始めていましたから、汎用性のあるこのアダプターをここが採用してくれれば、必然的に他社にも売れるという読みがあったからです。

 そこで先方の社長以下、関係部門の長が見守る中、アダプター機能の説明と試作品のデモを行ないました。その結果、“うちが50万個、20億円分買うから、うちだけに売ってくれ。ほかには売らないようにしてほしい”という回答でした。
 初めて作った試作品段階で、億円という単位の売り込みに成功するわけですから、本来なら狂喜乱舞する場面です。が、しかし当初から他の新電電にも売り込む算段でしたので喜びも半分でした。また、他の新電電も使うことになれば、選択肢が多くなり一般市民にとってもずっと経済的です。
 だからこちらの意を汲んでいただけるよう時間をかけ、また具体的なロイヤリティーについても話したのですが、夜の9時になっても折り合いがつきません。
 先方は経験豊かな大の大人たちで、かたやこちらは若僧、32歳の大久保氏と29歳の私の2人です。とうとうその場の雰囲気と時間に押し切られる形で「第二電電にだけアダプターを売る」という契約書にサインしました。

 しかし翌朝、どうしてもモヤモヤとした思いが取れません。もう一度二人で考え直した結果、残った新電電へのロイヤリティーにかけようという思いに至りました。そしてすぐその足で、昨日契約を交わした社長のご自宅を訪ね、“今朝まで二人でよく考えたのですが、お願いにあがりました”と、再度こちらの意向をお伝えし、サインした契約書を反古にして戻してもらいたい旨、丁重にお願いしたのです。
 一度サインした契約書です。法律に訴えられたら、明らかにこちらが不利です。しかし、そこは度量の大きな大経営者。こちらの要望を理解していただき、契約書を返してもらうことができました。
 第二電電から買い取り意向のお墨付きをもらえたアダプターですから、他の新電電への売り込みには自信がありました。
 そしてすぐ、日本テレコムとのOEM(相手先ブランドによる生産)契約に成功し、このアダプターは日本テレコム名で販売されることになったのです。そのロイヤリティーによって累計20億円も稼ぎ出し、そして懸案だった借金も完済できたのです 】と。 

 データーベース雑誌の出版で初めて出した大赤字も、こうして切りぬけた孫青年です。青年の資金調達の一つのパターンとして、この連載その9では音声翻訳機を、そして今回は電話自動切り換え装置をと、2つの発明を見ていただきましたが、いずれの場合も自分には何の技術もない分野での具現化です。
 常々「何もしないことがリスクなんだ」と話している青年でしたが、やはり切羽詰った必要の中で生れる熱意には不可能などがないことを教えてくれます

 今回の発明の件では、世の中の変化に嗅覚を働かせ、そこで生み出されると思われる需要分野をいち早く読みとる青年の感性と、それをただちに実践に移してしまう確固とした実行力を見ることができます
 第二電電も孫青年のアイデアにヒントを得て、まもなく同じようなアダプターを独自に開発しますが、やがて2001年5月1日からは余分な4ケタ数字を入力しなくてもよくなります。
 孫青年のアイデアから生れたこのアダプターは1987年から14年もの間、消費者のために活躍していたことになり、それ故、大きく世の中に貢献したことになります。

 さて、病床で招いた新社長下で起きた社員による「ソフトバンク事件」など、マネジメントの観点からも大いに参考になる話もまじえて、次稿へと続きます。

(連載・第二十五回完 以下次回につづく)


執筆者 梶谷通稔
(かじたに みちとし)
  • 岐阜県高山市出身
  • 早稲田大学理工学部応用物理学科卒
  • 元:米IBM ビジネス エグゼクティブ
  • 現:(株)ニュービジネスコンサルタント社長
  • 前:日本IBM  GBS 顧問
  • 前:東北芸術工科大学 大学院客員教授
  • 現:(株)アープ 最高顧問
  • 講演・セミナー・研修・各種会合に(スライドとビデオ使用)
    コンピューター分析が明かすリクエストの多い人気演題例
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  • 成功する人・しない人を分けるもの、分けるとき。
  • もったいない、あなたの脳はもっと活躍できる!
  • こうすれば、あなたもその道の第一人者になれる!
  • 求められるリーダーや経営者の資質。
  • 栄枯盛衰はなぜ起こる。名家 会社 国家衰亡のきっかけ。
  • 人生1回きり。あなたが一層輝くために。

テレビ出演と取材(NHKクローズアップ現代、フジテレビ、テレビ朝日、スカパー)

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