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その32 始めての大型M&Aのチャンスに一流専門チームを結成

 “技術革新のスピードが速くなると、一から手作りで対応していたのでは、とても追いつかない。M&Aは時間とコストをセーブでき、孫子の兵法の戦いに例えれば、戦わずして兵力を倍増できる。 
 しかしそこで大事なのは、M&Aの相手が培ってきた文化や手法、やり方や考え方を最大限に尊重し、相手の兵力を、自分たちで作り上げてきた兵力以上に尊重してあげること。敵対的M&Aというものもあるが、これまで私は一度もしたことがない“
 とは、前号までに見てもらった孫氏のM&A観でした。
 
 東西冷戦が終わった1990年、照準は世界だとして、社名の日本ソフトバンクから日本の文字を外し、またその直後に起こったバブル崩壊に際しては、1億総自信喪失症にかかって信号待ち状態になっている日本を憂い、“守りに入った経営で、年間2~3割の売上げを伸ばすことに満足するよりも、どうせ一回きりの人生、悔いを残さないよう一層積極的に動くことの方がずっと価値がある。むしろこれをはじめとして、ここから龍馬のように打って出ていくんだ” と、龍馬に再び大いに刺激され、おりしも時の低金利時代を好機ととらえて向かった先は、M&Aでした。
 
 低金利が活用できる絶好の機会の到来といえども、M&Aには日常とかけ離れた資金が必要となります。さらに無名に近い会社の信用度や知名度を上げる必要もありました。そこで行ったのが株式の店頭公開でした。
 公募価格1万1000円に対して、1万8900円の初値がつき、会社の時価総額は2000億円相当となったのです。1994年7月22日のことでした。
 
 そこでM&Aのターゲットとして、まず考えたのはコムデックスでした。前年、コムデックス展示会会場の控室にオーナーのアデルソン会長を訪ね、M&Aについて打診したとき、その会長から “資金はあるのか”と訊かれ、 “今はありません。 しかしわが社の名前は‘バンク(bank、銀行)’です。 大金が入ってくるような気がしませんか”と答えると、会長は大笑いしたという話を思い出してください。
 そして今度はその会長と本格的な交渉にとりかかろうとしたその矢先に、或る情報を知ることになります。ここからの展開が見ものです。氏は語ります。
 
出版大手ジフ・デービスの買収工作
 
 【 株式公開した直後はアメリカに出張中でした。その時「ウォールストリートジャーナル」の掲載で、憧れのコンピューター関連出版最大手のジフ・デービスが売り出されていることを知ったのです。
 ジフ・デービスはパソコン関係を主軸にした出版の世界ナンバーワン会社です。雑誌別に見れば、世界で1、2、3位と5位の広告収入実績を誇り、そこで出版している「PC-WEEK」は、他誌である「ビジネスウィーク」や「プレイボーイ」などよりはるかに広告収入が多く、1誌当たりで見るとおそらく世界で一番儲かっている雑誌でした。
 
 ソフトバンクは、すでにその記事配信のライセンス契約をしていて、「PC-WEEK」の日本語版版権を取っていましたが、われわれの出している雑誌のインタビュアー兼通訳として、私がビル・ゲイツと初めて会ったとき、彼が“「PC-WEEK」は毎週読んだほうがいい”、と言っていたことを覚えています。 
 僕はすぐに、創業者で会長だったウィリアム・ジフ氏に会いに行きました。ジフ氏が言うには、売り出したのは“自分は病気がちなのでリタイアしたいのだが、2人の息子は別の事業をやりたがっている。やる気がない者に継がせても社員を不幸にするし、息子たちのためにもならない”という理由からでした。
 だから入札で、一番高い値段を付けたところが落札する「開かれたM&A」をすると言うのです。
 
 ジフ・デービスはデジタル情報革命における宝島の地図なのです。この先、インターネット革命が来るのはわかっている。その中で、どこへ向かえばいいのか、何を抑えればいいのか、というピンポイント情報を集める能力が、世界一高いのです。3,000人ものテクノロジー・アナリストがいるので、ビジネスの種を見つけ出して内容を調べる能力は抜群です。
 
 証券会社にはファイナンシャル・アナリストは大勢いますが、その彼らはそれぞれの会社の業績を見て判断するわけです。しかしテクノロジー・アナリストはテクノロジーの種の段階で、このテクロジーはどういう方向に行くだろう、この人物が企画しているアイデアはこうなるだろうと、将来を予測するわけですから、種の状態の良し悪しを計る際には、ジフ・デービスの威力はものすごく大きいんです。
 このような宝島の地図を持っている会社だからこそ、僕はどうしても欲しかった 】と。
 
 孫青年の狙いは、ビル・ゲイツも薦めるPC情報発信元の総本山、将来を予測する宝島の地図を持っている会社ということです。
 氏が2010年3月29日に、翌年の大学新卒採用の学生向けの講演会で語ったこんな言葉があります。
 「1990年代の半ばころに思っていたことは、これからインターネットの時代がくるということでした。そしてこの新しくやってくるインターネットの時代にその時代を切り開く地図とコンパスが必要だと。宝探しに行くのに1番大切な物は食べ物でもなくて、薬でもなくて、鉄砲でもなくて。1番大切なのは地図とコンパスです。
  皆さんが宝探しで無人島に行ったとします。そのとき何が必要かと。地図とコンパスさえあればパッと宝を見つけて1日で帰れるわけです。そしたら食料もそんなに要らないと、薬も武器もそんなに要らないと。
 1番大切なのは地図とコンパス。それに相当するのがコムデックスとジフ・デービスだったということです」と。
 
 この結末には、大きな宝物を手にいれることになるのですが、これほどの著名会社のM&Aとなると、ちょっとした買収とは違い、大がかりなものになることは必須で、もちろん孫青年にとっても初めての体験になります。
 そこで青年の取ったプロセスが見ものです。氏は続けて語ります。
 
名だたる投資銀行を中心としたプロジェクトチームを組む
 
 【 しかし大型買収は初めてです。しかも国内ではなく海外大手の企業買収であるため、メインバンクの日本興業銀行はもちろん、日本のどの金融機関も融資に尻込みして色よい返事をしてくれません。
 そこで私はさまざまなアドバイスをもらうため、モルガン・スタンレーという世界最大の投資銀行を顧問に、プライスウォーターハウスなどの弁護士や会計士を含めた専門家を雇ってプロジェクトチームを結成することにしました。アドバイザーはトップクラスの専門家たちです。
 
 1冊200ページ以上のファイルで100冊ほど、2万ページのデータをもとに、コンピューターを使ってシミューレーションをしました。
 買収するかしないか、いくらで買えば利益が上がって返済できるのか、こちらの利益にどれだけ影響を与えるのかなどを徹底的に分析したのです。3週間の仕事でした。
 この分析とともに“ソフトバンクは株式公開したばかりで、「志」はあってもあまりお金がない。これをブレークスルーする資金調達の方法やアイデアをいろいろ提供してほしい”ということも頼みました。
 
 彼らはさすがにプロフェッショナルでした。資金がなくても買収できる方法があると言う。それがLBO(レバレッジド・バイアウト)という方法で、つまりソフトバンクは株式を公開してある程度の利益を上げているし、もちろんジフ・デービスも大きな利益を上げている。
 だから両社の収益を合わせれば、1+1=2ではなく、1+1=3以上の信用度を確保できる。銀行は、この信用力を担保に金を貸してくれるというのです。
 
 さすがに半信半疑でしたが、彼らはバンク・オブ・ニューヨークとシティ・バンク、そしてチェース・マンハッタンの著名3行に声をかけてくれました。
 夕食の招待を受けて、その席でソフトバンクの説明をしました。そしてモルガン・スタンレーの担当者が、各銀行に“1週間以内にイエスかノーの返事をくれ”と依頼したのです。食事会の場で僕を首実検していたのですね。
 
 結果、3行とも1千数百億円の融資を約束するという書面、コミットメント・レターをくれたのです。入札の際には、これをジフ・デービスに渡すのです。
 3行とも初対面から一週間で、これだけの資金を無担保で保証することに合意してくれたのですから、日本ではとても考えられないことが起きたと、本当にびっくりしました。
 結果的にモルガン・スタンレーだけにでも合計10億円以上の顧問料を払いました。非常にいい勉強でした。そのプロセスが大きな財産になりました。こうして綿密な分析も終え、入札には密かに自信を持っていたのです 】と。
 
 またもやここで孫青年の得意技が出ました。当連載その7の多国語間音声翻訳機を開発する際に発揮された方法、専門家によるチーム作りです。
 “僕自身は特別何かの専門家でもなく、またこれだけは誰にも負けないという特技を持っていたわけでもありません。しかしその思いが強く、しかも方向性さえよければ、多くの専門家が自ずと集まってきて協力してくれるものです”と、孫青年は、大学の教授や研究者専用の電話帳を片っ端からめくって、マイクロ・コンピューターの第一人者は誰か、ソフトウェアの優れた人物は誰か、と調べあげ、的を絞って持ち前の説得力を発揮して各分野の専門家集団を作り、見事なチームワークのもと音声翻訳機の試作品を完成、遂に、その売り込みにまで成功していました。
 
 今回は、欧米における金融機関やコンサルタント分野で超一流どころを集め、彼らの知恵でもってLBOという方法まで引き出してしまいました。
 分析で出した出版部門の企業価値評価は1,400億円というものでしたが、ジフ・デービスは豊富な広告収入や読者からの前払い年購読料で、当時年間142億円もの現金収入がありましたから、収入増がなくてもそのままで10年もすれば元が取れる計算です。
 結果、これまたアメリカの超一流3行から一千億円単位の、しかも無担保で保証を得るという離れ業を、弱冠36歳でやってのけてしまいました。
 こうして入札当日を万全の体制で迎えたのですが、そこで意外な結末が訪れるのです。氏は語ります。
 
入札の日のどんでん返し
 
 【 そして入札日。ところが、夕方5時が締め切りだったのですが、その5時間も前の正午に“入札は終わった”という電話がかかってきたのです。
 どういうことかと問いただすと、M&Aを専門にやっている投資会社ポストマンリトルが単独交渉権を得て話をすすめ、買収が成立してしまったと言うんです。
 つまり、入札前に破格の条件を出して交渉し、イエスかノーかを迫る。イエスならその額を現金で払うが、ノーなら入札そのものに参加しないという強談判です。
 
 ソフトバンクが最有力だと思っていたのに、先方には我々が当日までに資金がそろえられるかどうか不確定に見られていたようで、そこを突かれたわけです。
 結局、ジフ・デービスは買えなかったのです。しかし私はチームに「米国式のM&Aを学ぶことができた」「過程習得自体が財産だ」と言って励まし笑ったが、体は疲労していました。
 本当にがっかりして、詰めていたモルガン・スタンレーの事務所からホテルに戻ると、4、5日徹夜の連続でしたから、すぐベッドで寝てしまいました 】と。
 
 連夜の徹夜で疲労困憊の上に、M&A専門会社に出し抜かれ、どっと疲れが出てがっくりきたことから、ベッドに倒れ込んだ様がよくわかります。
 しかし、ここで終わらないのが孫青年の青年たる所以です。ここがスタート、青年の真骨頂をうかがわせる展開がこれから繰り広げられることになります。
 氏は続けて語ります。
 
展示会部門が残っている
 
 【 目が覚めたのが午後4時55分。 入札締め切りまで5分しか残っていなかった。そこでハッと気がついたんです。ずっと憧れていたのは、ジフ・デービスの出版部門で、たしかに取られたのは当部門でしたが、まだ展示会部門とかデータベース部門が残っているぞ、と。
 ここの展示会部門・インターロップはコムデックスに次いで世界で2 番目ですが、もしこの際、コムデックスも一緒に買収できたら、展示会部門で圧倒的ナンバーワンになれると思ったのです。
 
 以前、ソフトバンクが上場前に、コムデックスが売りに出るかもしれないという噂を耳にして、創業者でグループの会長のシェルドンさんに会いに行ったことも思い出しました。
 私は直ちにモルガン・スタンレーに電話をしました。 そして“今すぐジフ・デービスに連絡して、時間をもっと欲しいと伝えてほしい。展示会部門・インターロップの値段をチェックして、資金的条件を見直すには5分では時間がなさ過ぎる。入札額の計算のために深夜12時まで締め切りを延ばしてほしい、と頼んでくれ”と。
 
  コムデックスを買収できるかどうかは分からない。でもコムデックスに加えてインターロップまで買収すれば、米国IT展示市場の7〜8割を握れることになる。
 私はそのあとすぐにモルガン・スタンレーの事務所に駆けつけ、深夜の締め切り直前までに買収の値段をはじき出したのです。
 そして深夜12時、この展示部門・インターロップを見事落札することができました。価格は2億ドルの200億円。1994年11月、株式公開4ヶ月後でした 】と。
 
 単独交渉権外の展示会部門は残っているはずと、眠りから目覚めて気づいたのは入札〆切り5分前。このジフ・デービスの案件に取り組む直前までは、コムデックスとの本格的な交渉に入ろうとしていたことを思い出せたのは、 “もしこの際、コムデックスも一緒に買収できたら、展示会部門で圧倒的ナンバーワンになれる”との言葉からもわかります。
 
 そしてこのあと取った〆切り時間の延長依頼という行動は、当連載その11でお伝えした、まさに高校留学中に取った大学検定資格審査試験での行動そのものを思い起こさせます。
 その試験会場で渡されたのは、ほとんどが説明文となっている英語のせいで、教科書ほどもある分厚い問題でした。
 本題は英語ではなく、中身の学力試験のはずだと、州の教育局責任者にまで試験官から連絡を取ってもらい、結果、辞書の持ちこみばかりか、大幅な時間の延長で皆と一緒の時間帯ではなく、夕方から夜遅くまで3日間ものスケジュールまで許されたという経緯です。筋の通った訴えに、相手も納得したということです。
 
 今回 展示部門でナンバーワンになろうという強い思いがねばりとなり、また筋を通す持ち前の説得力でもって相手を動かしたことになります。
 それは、〆切り期限の延長を1時間先とか翌日とかではなく、当日の深夜12時までとしたところにうかがえます。つまり単独交渉権のせいで本命の出版部門の入札が出来なかったソフトバンクに対して、ジフ・デービス側は気の毒に思っていたかもしれませんが、青年は展示会部門・インターロップ・への入札分析のために、新しく時間が必要だと訴え、そして当日中なら相手の立場からも筋が通るはずだと考えたからだと思われます。
 事実そのような展開になったわけです。
 
 さてこのあと、また大きくM&Aが展開していく過程はさらに見ものです。
 
(連載・第三十一回完 以下次回につづく)


執筆者 梶谷通稔
(かじたに みちとし)
  • 岐阜県高山市出身
  • 早稲田大学理工学部応用物理学科卒
  • 元:米IBM ビジネス エグゼクティブ
  • 現:(株)ニュービジネスコンサルタント社長
  • 前:日本IBM  GBS 顧問
  • 前:東北芸術工科大学 大学院客員教授
  • 現:(株)アープ 最高顧問
  • 講演・セミナー・研修・各種会合に(スライドとビデオ使用)
    コンピューター分析が明かすリクエストの多い人気演題例
  • 始まったAI激変時代と地頭力
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  • 成功する人・しない人を分けるもの、分けるとき。
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  • 求められるリーダーや経営者の資質。
  • 栄枯盛衰はなぜ起こる。名家 会社 国家衰亡のきっかけ。
  • 人生1回きり。あなたが一層輝くために。

テレビ出演と取材(NHKクローズアップ現代、フジテレビ、テレビ朝日、スカパー)

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