その40:物事を孤立的にとらえず、柔軟で創造的な発想で |
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設問37、設問38でお伝えした「行き詰ったら発想の転換を」に関連して、「考え方の転換」という観点からの重要なサンプル例として、前回、京セラやKDDIを一人で作りあげた稲盛和夫氏を取り上げ、その人生出発点のさわり部分をご披露しましたが、そこでは志望した中学校に自分より成績の悪かった悪童たちが全員受かったにもかかわらず、小学校の担任ににらまれたがために悪く書かれた内申書のせいで、稲盛少年だけが受験に失敗したこと、それを皮切りに翌年、再度の挑戦にも試験日寸前の発熱により2回目も失敗、また高校での出来事、そして志望した大学、さらに志望会社への就職試験もすべて次々と失敗し、その内容は彼だけが貧乏クジを引くという巡り合わせに、とうとう義理人情のヤクザの世界に入ろうとまで考えた稲盛青年を見ていただきました。 では、それが「考え方の転換」と一体どういう関係があるのか。その結論までには、もう少々お待ちいただき、次を見てください。 「そこは碍子を作る会社で、私が入社する頃にはすでに赤字会社として銀行管理下に入ってしまい、再建途上。給料は最初から遅配、ボーナスどころではなかった。案内された会社の近くの社員寮は、今にも崩れそうな建物で、あてがわれた二階の床は今にも落ちそうだった。部屋に入ると、畳表はボロボロ、中の藁が飛び出し、まるで臓物がむき出しになったみたいに見える。先輩に教えられ、買ってきた花ござで表を覆い隠し、四方をピンで止めると、やっと人心地がつくという状態だった。 そんな中で、会社での研究も、人間関係もうまくいかず、日が暮れると、寮の裏の桜並木が続く小川へ一人出かけ、そのほとりに腰かけて、唱歌の「ふるさと」をよく歌ったものだった。心の傷が積もり積もって、どうにもならなかった。私は思い切り歌うことで、自分を元気づけていた。しかし、社内外で会社の悪い評価ばかり聞く。自分の不運はいつまで続くのだろう。私はやる気を失っていくばかりだった」と。 暗い夜道を買物かごをさげ、油揚げを買いに行く侘びしい自炊生活姿を、今の氏からはちょっと想像できませんが、これが現実でした。このあとも不運が続き、ますます「なぜ自分だけが」の思いが募っていきます。しかし、実はそれらが成功への土台となっていくのです。氏の言葉は続きます。 「こんな会社だから同期に入った大卒5人の新入社員の間では、集まる度に“やめたい、やめたい”の声が大きくなっていき、そのうち1人辞め2人辞め、入社して半年も経たないうちに2人だけになってしまった。ある日、この2人でぶつぶつと愚痴を言い合っているうちに、いっそ自衛隊の幹部候補学校にでも入り直した方がよさそうだという話になった。 そこで、入隊手続用に必要な戸籍抄本などを実家に頼んで送ってもらうことになった。ところが、彼のもとにはすぐに送られてきたのに、私のほうは待てど暮らせど届かない。ついに提出期限が切れて、自衛隊入隊はあきらめなくてはならなくなった。あとで親に聞いてみると、私の兄が“先生に頼んでようやく入れてもらった会社なのに、半年もしないうちに辞めるとは何事か”と猛烈に怒って、戸籍抄本を送ることに反対したらしい。結局、松風工業には同期で私一人が取り残されてしまった。 ここのくだりを見ていますと、ずっと長く続いていた曇天のその暗闇の中から、まさにパッと一筋の光が差し込んできた印象を受けます。長い闇からの解放。そうなったのは、ただ氏自身の言葉でいう“心のあり方を変え、考えを改めた”、つまり「考え方の転換」ただこの一点によるものです。 ここまで見ていただければ、「考え方の転換」の重要性ということで、稲盛氏の例を引用した理由もおわかりいただけたことと思いますが、実は、これだけでは終わらないもっと重要なメッセージがあるのです。 その上司とは、無機化学の世界とはまったく無縁の骨董屋まがいの人で、それまでの経緯もあまり知らないままあるとき、なかなか進まない開発の青年に向って言い放つのです。 「鼻であしらい、何か小馬鹿にしたようなその言葉を聞いて、私は間髪を置かず言い放った。“それでは私は会社を辞めます。今日限り辞めます”と。過去の経緯も知らず、倒産寸前の会社の劣悪な環境の中であっても、夢を描き、寝食を忘れて仕事に打ち込んでいた、私たち若者の苦労を無視するばかりか、その心情をまったく理解しようともしない。そのあげくにこの仕打ち。そんな信頼も尊敬も置けない人の下では絶対に仕事はできない、そう考えたからだ。当時の役員たちは私の実績を買ってくれていたので、退職を考え直すように慰留に来たが、私も薩摩人のはしくれである。一度辞めると啖呵をきった以上は撤回するわけにはいかない。しかし、突然退社を決めたはいいが、その後何をすべきか、まったく何の考えもなかった」と。 このあと、青年の実績を見込み独立の資金を出してくれる人が現れ、また青年を慕って共に退社した部下7人とともに創業を始めた会社、それが京セラでした。 次々と起こる「なぜ、自分だけが」と思わせた数々の出来事。もしも氏の中学受験、大学受験、石油会社の就職試験、そして自衛隊入隊がうまくいっていたとしたらどうでしょうか。阪大の薬学科を出て、薬剤師の道を進んでいたかもしれません。あるいは石油会社の、はたまた自衛隊の幹部になっていたかもしれません。任侠の世界で幅を利かせていたというとんでもないことも起こっていたかもしれません。 偶然と思われがちなことも、すべてつきつめていきますと、それは必然性につながります。これを、もし結果論として片づけてしまう人がおられたら、是非一考していただきたい。それは違います。すでに起こってしまった過去の、思い通りにならなかった不運な事象、これらは厳然たる事実でくつがえすことはできません。が、しかし、それを不運なままで終わらせるか、そうでないか、その重要なポイントは本人の意志で変えられるということです。 考え方の転換。ご覧いただいたように、外から見た物理的なものは何も変わっていなくても、氏の意志で、内なる心のありかた・考え方を“後ろ向きの姿勢から常に前向きに”と変えた、ただそれだけで過去の不運の連続が、幸運の連続の世界に“反転”してしまったのです。 ここに、結果論では片づけられない、“意志”という本人の意識がはっきりと係わっている点を見過ごすことはできません。この心のありようを変えるのに、膨大なエネルギーが要るわけではありません。しかしその中身は、すべてを変えてしまうような、ものすごい力をもっているということです。 のちの京セラが発展する源流はこの時にあります。そしてそれが京セラだけにとどまらず、KDDIの設立にもつながって、今日の売上げ4兆5千億円も越える企業にもなったわけです。西洋にもEverything
happens for the best.(すべては最善のために起こる/すべては最善に向って起こる)という格言がありますが、本人が事象をどう受け止めるか、心の問題が大であり、それによって人生が大きく変わっていくという非常によい例です。 以上、当連載の設問などとは別に、心の知能指数・EQのことや、その他、一般にも役立つ内容の話があれば、もっと知りたいという読者の皆さんからのご要望にお応えする形で、稲盛氏の足跡を前号とともにお伝えしました。 では、今号の設問の解説に移ります。 |
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この問題はTVのクイズ番組などに出されたことがあるため、多くの方がすでに知っているかもしれませんが、しかし、それでも正確な解答ができるかどうか。 この測量問題には2つのポイントがあります。1つは、量る対象物がとても大きい物体であること。もう1つは、秤、つまり重さを量る計量器が使えないということです。 では、どうするか。先に挙げた2つのポイントの制約下でいろいろ考えていくと、辿り着くのは水を利用するという案となるはずです。 そこで残るは、機体を乗せても沈まない大きな空母あるいはタンカーのような船に、機体をまるまる一機を運んで乗せられる小型機ならばそのまま、それが無理な大きさならば機体を最小限度に分けて乗せる案です。これは現実的です。この場合の測定方法は2つ出てきます。 まずは第一案。機体を乗せたとき、船の水面位置、つまり喫水線に印を付け、その後機体を船から降ろし、次に重さの分かっている物品を喫水線の印のところにくるまで乗せていき、それら物品の重量を合計すれば機体の重さになります。 さて、先ほど同じ問題を隣国の中国で出したら、おそらく大部分の国民が正解もしくは正解に近い回答をするのではないかと申しあげたのは、次のような事情からです。
その故事とは三国志の中に出てくるもので、魏国の王・曹操に南国から今まで見たこともない象が贈られたとき、その重さはどれくらいかという話になり、量る方法が問われます。誰一人として答えられなかった中で、曹操の八男で10歳の曹沖が象を船に乗せて重さを量る方法を答えるという内容です。
三国志の話とは別に、象の重さを量る話は仏教説話にも載っていますが、いずれにしましても中国では、曹沖の話は有名な物語として童話にもなり、また切手にもなって2008年も売り出されています。 また、日本でも平成19年度経済産業省「理科実験教室プロジェクト」の授業指導案には、その授業タイトル「量るとはどういうこと?」の中で、<独創的な発想から有名になった旭山動物園は、数トンの重さを量れる台はかりを特注で製作し、象「ナナ」の体重を測定した、という裏話などを児童の興味をひきつけるために盛り込むこと>と載っています。 さて、この設問出題の背景はといえば、すでにこれら教材の主旨が代弁してくれているように、物事を孤立的にとらえないで、柔軟で創造的な発想ができるかどうかを見ようというものです。 |
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実際、1つだけではなく、この2つとも解答した応募者が合格したようです。もちろん仕様書を見ることや、機体そのものを水に沈める案は没ですが、方法としてはいいものの、重量比較の対象としてうっかりと重量がわかっていない石などの使用を答えないことです。 では、やはりその背景を考えながら、次の設問をやってみてください。 |
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ビル・ゲイツの出題問題に関しては、HOW WOULD YOU MOVE MOUNT FUJI ? (Microsoft’s cult
of the puzzle. How the world’s smartest companies select the most
creative thinkers. )By William Poundstore の原書や、筆者の海外における友人たちの情報を参考にしています。 また連絡先不明などにより、直接ご連絡の取れなかった一部メディア媒体からの引用画像につきましては、当欄上をお借りしてお許しをいただきたく、よろしくお願い申し上げます。 |
執筆者紹介
テレビ出演と取材(NHKクローズアップ現代、フジテレビ、テレビ朝日、スカパー)
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連載
新聞、雑誌インタビュー 多数
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