その50 「頭がいい」とは、どういうこと? |
|
||||||
グーグルやヤフーで「ビルゲイツ」を検索しますと、共に今では当連載がビル・ゲイツのWikipediaに次いで、時に第二位に出てくるほどまでに広く読まれているようですが、ご愛読いただきありがとうございます。
この新刊書はこれら240人の中の一部として、上記5人を代表例に取って、彼らの地頭の働きを加筆し、この連載を更新・再編集したものです。 そこで次の質問をしてみたいと思います。 最初は小学生、中学生です。彼らに「頭がいい人」とはどういう人?と訊きますと、「勉強のできる人」という単純明快な回答が返ってきます。じゃ「勉強のできる人」ってどういう人?と訊き返すと、「試験の成績がいい人」と、言葉を代えたこれまた明快そのものの即答です。 では次に高校生に同様な質問しますと、この「勉強のできる人」に加え、「計算が速い人」とか「偏差値の高い人」といった大学受験を背景にした具体的な回答が増えるとともに、「物知り・博学な人」といった知識量に言及するものが入ってきます。 では大学生はどうか。これら学校の成績や一般の知識量に関係するものに加え、「IQの高い人」「頭の回転が早い人」、「思考と創造性のある人」など、知識を動員したスピード感の加わった回答や、日常身近に接している教授たちの研究とその成果から受ける印象をベースにした回答が出てきます。 もちろん、中にはそれぞれのレベルで例外的な回答をする生徒もいて、小中高大ときっちりと層別できるわけではありませんが、おおまかなくくりで言えば、これが標準のようです。そして、義務教育という受身の立場で、まだ世の中の実態から離れた世界で学んでいる小・中学生にしてみれば、「勉強のできる人」、「試験の成績がいい人」と即答するのはごく自然なことです。 しかしその小・中学生が、次のように広く世の中で評価されている各界第一人者たち(以下敬称略)の学校時代における実態を知ったならば、回答も違ってくると思われます。
したがって、これらの事実や世の中の実態を知り、日常の荒波にもまれ、明日何が起こるかわからないといった世界に身を置く社会人、100人近くの人たちに、「頭がいい人」とはどういう人かと訊きましたところ、その回答は次のように、千差万別な内容となって返ってきました(順不同)。 「できる人の一言に代表される秀才」、「仕事が出来る人」、「記憶力のある人」、「知識が豊富で物知り、博学な人」、「計算が速い人」、「頭の回転が速い人」、「機転が利く人」、「先を見通す力で予見・予測できる人」、「直観力のある人」、「未知の問題にも柔軟に対応・解決できる人」、「柔軟性がある人」、「論理的思考ができる人」、「その場で最良の判断が出来る人」、「複数の、マイナーな視点も提示できる人」、「言語表現が巧みな人」、「発想力のある人」、「独創性、独自性のある人」、「新しいことに果敢に挑戦し、結果を出せる人」、「誰も考え付かないことを考え付き、それを実現する人」、「壁に正面から堂々と立ち向かい、努力できる人」、「働く事、動く事を厭わなく、自ら積極的に行動する人」、「辛抱強く、最後までやり遂げられる人」、「行動と実行の人」 など学問の延長から見た、いわゆる仕事が出来る人といったものに始まり、さらにまた、 「人を引きつけ纏められる能力のある人」、「常識と礼儀を知っている人」、「バランス感覚のある人」、「感情的にならず、誰に対しても常に謙虚な人」、「確固とした自分の核を持ちながら、人の個性を尊重できる人」、「機知に富み、ユーモアセンスにあふれる人」、「常に笑みを絶やさず、周囲に気を配れる人」、「環境に恵まれなくとも、自力で能力を高める向上心がある人」、「空気を的確に読める人」、「周囲の状況を素早く的確に見極められる人」、「臨機応変、物事に柔軟に対処できる人」、「悟りを開いた人」、「人間関係の構築がうまい人」、「誰とでもうまく付き合え人」、「人の間を上手く取り持てる人」、「皆に慕われる人間性のある人」、「家族ともうまくやれる人」、「人を敬える人」 などなど、学力や仕事力だけでなく、日常における社会生活や家庭での関わりまでを含めた人間関係の視点から見たものまで多岐にわたって出てくることになり、中でも、単独の回答というよりもこれら複数の組合せによる回答が多く、改めて人それぞれにいろんな思いがあることを思い知らされましたが、この事実から日本語のニュアンスで言う「賢い」の意味も含めて「頭がいい」には決まった定義などのないことがわかります、と同時に、次のようなこともわかってまいりました。 これら社会人の皆さんがおしなべて言及している内容を整理してみますと、記憶力、計算力、理解力、コミュニケーション力、忍耐/継続力、判断/決断力、チャレンジ/実行力、発想/創造力、先見/洞察力、思考/問題解決力、統率/人間力などにまとめられます。 それらは地頭力に深く関連するものばかりです。つまり、前述のアインシュタインやビル・ゲイツ、司馬遼太郎らは、おしなべて学校の成績という一分野の能力だけでは測ることのできない地頭力が発揮されていたということになります。 この「地頭」や「地頭力」については、新刊書の第五章「今風の地頭男―ビル・ゲイツ」で解説、またこの能力を育むための授業をすでに始めている小・中学校の例なども記載していますが、今号のスペースがなくなりますので、以下詳しくはそちらに譲りまして、それでは次の解説に移りたいと思います。 |
|
当連載シリーズの愛読者ではない方たちが、普段、何気なくいきなりこの設問を問いかけられた場合、あるいはとにかく解答をすぐに出すように求められた場合、おそらく彼らの多くは、咄嗟に「何んでこんな簡単な問題を訊くのか、2分の1に決まっている」との印象を持たれるのではないかと思われます。 しかし、当連載シリーズの中で多くの設問を体験されている愛読者の皆さんならば、そんなに簡単に答えられるような問題など出されるはずがないという思いと、さらにこれまでの設問に精通された方であれば、「待てよ、どこかで似たような問題があったような気がする」との思いに至るのが、普通のはずです。 これらは、普段、われわれの思っている感覚、つまり直感ではうまく答えられない、自然と間違いを犯し易い世界に引き込まれてしまっている問題だということです。 まず、女の子の問題で言えば、男の子と女の子の生まれる確率は2分の1である、という当然とも言える感覚の前で、男の子と女の子のペアには第一子と第二子という順序があることをつい見逃してしまいがちになる、というところを突いた問題でした。 では、今回の設問の場合はどうか。明らかなのは両面が黒のカードは除外されるという考え方から、残りのカードその裏面が黒か白の2枚だけという当然の感覚により、そこに見逃しのあることを突いた問題だということです。 そして設問の「カードをよくかき混ぜてその中の1枚を引き出したら、白面が出た」という場合のケースとしては、A、B、Cのどれかが出ていることになり、この3つの中でその裏面片側が白である場合はAかBの2ケースですから、設問のその裏のもう一面も白である確率は2/3ということになります。 女の子の設問も含めて、この見逃し現象が起き易いのは、全体の中に除外するものがはっきりわかるようなケースのときで、ついそのことに気を取られ、自然と直感的な感覚が幅を利かせてしまう世界に引き込まれてしまっているということなのです。 |
|
それでは、やはりその出題背景を考えながら、次の問題をやってみてください。 |
|
前号へ | 次号へ |
ビル・ゲイツの出題問題に関しては、HOW WOULD YOU MOVE MOUNT FUJI ? (Microsoft’s cult
of the puzzle. How the world’s smartest companies select the most
creative thinkers. )By William Poundstore の原書や、筆者の海外における友人たちの情報を参考にしています。 また連絡先不明などにより、直接ご連絡の取れなかった一部メディア媒体からの引用画像につきましては、当欄上をお借りしてお許しをいただきたく、よろしくお願い申し上げます。 |
執筆者紹介
テレビ出演と取材(NHKクローズアップ現代、フジテレビ、テレビ朝日、スカパー)
出版
連載
新聞、雑誌インタビュー 多数
※この連載記事の著作権は、執筆者および株式会社あーぷに帰属しています。無断転載コピーはおやめください