その95 |
簡単そうに見える問題ほど、やはり細心の注意を。 |
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前回の問題では、コインで支払ったということがわかったといっても、それで合格点がもらえないことがおわかりになったと思います。最後まで手を抜かないで、よ〜く確かめることが必要でした。 では、今号の設問はどうでしょうか。前問と同様に、最後まで気を抜かないことです。
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まず最初に、皆さんはこの設問をどのように感じましたか。少なくとも複雑な論理思考が要求される問題ではなさそうだ、と思われたかもしれませんし、また非常に易しいと感じられたかもしれません。 そこで今度は立ち話として、あなたが友人にこの問題を聞いてみた場合の反応と、その解答を予想してみてください。いとも簡単だとして、時間を置かずして答えるかもしれませんが、その場合は往々にして間違った答が返ってくることが予想されます。 トランジスターの発明者・ショックレーが、シリコンバレーの面接試験でストップウオッチを隠し持ちながら論理パズルの問題を出題したのが、1956年のこと。 いくら易しい、あるいは簡単だと思っても少々ビビるのではないでしょうか。設問によって、一番最初に受ける印象や感触次第では、その後の注意点の置き所や解答への糸口に至るスピードが往々にして違ってくるということがあるため、以前、当シリーズのその73でそれらへの対処法について、詳しい解説を試みました。 そこでの解説では、各設問を そこでこれら青字の項目を睨みながら、当設問95に当てはまりそうなものを改めて探してみますと、 では解説に進みます。 したがって、当初ガラスの原料が25gあれば、まず命題A.によりガラス板は25枚作れます。ここで5枚ずつが5つ作れていますから、命題B.によりその1つずつよりさらに1枚ずつで5枚作れることがわかります。 やはり、簡単そうに見える問題には、ついうっかりということが起こりがちで、どこか落とし穴がないか、見落としがないかを疑ってみる必要があるのです。 ショックレーのストップウォッチの話が出たところで、この機会にやはり面接でストップウォッチを使った含蓄のある1つのエピソードをここで披露しておきます。 それは今より100年以上も前の1908年当時におこなわれた面談の話です。 苦学生として大学に通う学費が必要だった1人の青年が、成功者のインタビュー記事を新聞に投稿するアルバイトを始めたときのことです。 25歳になったばかりの青年がそのとき取材した相手は、アメリカの鉄鋼王として大富豪となっていた当時73歳のアンドリュー・カーネギーでした。 「人間が金を持ったまま死ぬことはとても不名誉なことだと思っている。だから私は、死ぬ前に、今までに貯めたお金を全部使ってしまうつもりで、これまでも多くの寄付をし富を分配してきたが、しかし、まだ充分じゃない。 つねづね気にかかっている最も価値の高い私の財産とは、私が富を築いた方法、その秘訣・ノウハウだ。私は何よりもこのノウハウを、世の中の人々に残してあげたいと思う。 さて、ここで君に質問がある。もし、私が今日の話も含めて“成功のノウハウ”を体系化してほしいと頼んだら、君はどうするかね。もちろん、協力者や、君がインタビューすべき人たちには、紹介の手紙を書いてあげよう。とりあえず500名だ。 そこでは、人々がどのような考え方や行動をしたときに成功をつかみ、あるいは逆にお金を失ったか、また人が去っていったか、さらに挫折したあとでどのようにして這い上がることができたかなど、よくわかるはずだ。 この体系化のための編纂には20年ほどかかると思うが、君はこの仕事をやる気があるかどうか?イエスかノーで答えてくれたまえ」と。 とっさの質問に、なぜ20年もの歳月が必要なのか不思議に思ったものの、青年の返事は「はい、是非やらせてください」でした。しかし、カーネギーの次の言葉で、青年は一瞬とまどってしまうのです。 「いい返事だ。気に入った。君なら、きっとできるだろう。是非、やってくれたまえ。ただし、僕から君への金銭的援助は一切しない。それでもいいかね?」 世界一の金持ちがどうして?20年間もタダ働き?しかし多額の寄付をしている人が無意味にケチるはずがない、などといった思いが交錯する中で、再び青年は「イエス」と答えるのです。 すると、カーネギーはポケットからストップウォッチを取り出して、こう言ったのです。 「29秒。君が答えを出すまでに29秒かかった。私は1分を越えたら見込みのないただの人間としてあきらめるつもりだった。この種の決断というのは、1分以内に出せる人間でなければ、その後、何をやらせてもダメなものなんだよ」と。 この話を断ったり、決断できなかった人は、それ以前に200人以上もいたことを、青年はあとで知るのです。 なぜカーネギーが金銭的支援はしないといったのか。大富豪が保証するのであれば、誰だって即座に飛びついてくるものです。しかし無報酬でやりきれる人間でないと、このような大きな仕事を最後までやり遂げることはできないという、カーネギーの真意がここにあったので。 では、なぜ20年という長い歳月の設定だったのか。調査対象者の数が500人といっても、やはり20年は少しかかり過ぎの感じです。そのことをカーネギー自身はこう述べたそうです。 「すでに大成功をおさめた人々の話など、図書館に行けば多くの本にのっていることだ。それはそれでよい。しかし君にはどのような人間が、どのようにして成功者と呼ばれる人間になるか、その過程をじっくり観察してもらいたいのだ。 そのために、私の紹介する人々の中には、まだ世の中で成功者とは見なされていない者が多くいる。しかし、彼らは将来必ず成功するだろう。それには、20年間、じっくりと彼らを観察し、どういうときに失敗を犯し、どういうときに成功を重ねていったか、それらを詳細に分析する必要があるからだ」と。 つまり、カーネギーが紹介する人の中には、まだ成功を手中に収めていない未完の人達が多く含まれているため、その結果が出るまでの歳月を待たねばならないということ、さらにどんなに有能であろうとその余命を考えれば、年配者にこの仕事を頼めなかったということだったのです。 実際、この500人の中には、まだ世に知られていなかったフォード自動車の創業者、ヘンリー・フォードも含まれていて、青年が2日間かけてやっとで彼の居所を探し当てたとき、フォードは車の実験をしている最中で、汚い仕事着を着、くしゃくしゃの帽子を被り、手は油で汚れていたため、彼と握手をした青年のシャツの袖が汚れてしまったそうです。 初対面の30分ほどのインタビューでは、フォードは自分のほうからあまり話をせず、青年の質問に対し、ほとんど、イエスかノーで答えるだけで、しかもそのほとんどが「ノー」だったとのことから、青年はこの男が将来どんな分野にだってリーダーになれるはずはない、カーネギーのような偉大な人物でも見込み違いがあるのだな、と感じたそうです。 しかし20年後を見れば、世界のフォード帝国が築きあげられていたということです。無報酬で始めたものの、結果的にこの青年が完成した仕事は各界からの熱い視線を集め、多くの企業や大学のカリキュラム、あるいはまたルーズベルトやウィルソン両大統領の補佐官・顧問官の職までももたらし、青年自らも大富豪の仲間入りをすることになったのです。無報酬の件で、カーネギーはそれも見越していたということです。 さて、本設問の背景は、簡単に解けそうな問題でも、最後まで気を抜かずに取り組んだか。また解答が出ても、それで万全かを検証したか。さらにどれほどのスピードで解けたか、などを見ようとしているものです。 それでは設問95の解答です。 |
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では、その出題背景を考えながら、次の設問を考えてみてください。 |
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ビル・ゲイツの出題問題に関しては、HOW WOULD YOU MOVE MOUNT FUJI ? (Microsoft’s cult
of the puzzle. How the world’s smartest companies select the most
creative thinkers. )By William Poundstore の原書や、筆者の海外における友人たちの情報を参考にしています。 また連絡先不明などにより、直接ご連絡の取れなかった一部メディア媒体からの引用画像につきましては、当欄上をお借りしてお許しをいただきたく、よろしくお願い申し上げます。 |
執筆者紹介
テレビ出演と取材(NHKクローズアップ現代、フジテレビ、テレビ朝日、スカパー)
出版
連載
新聞、雑誌インタビュー 多数
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