その96 |
出ている数字同士には密接な関係がある |
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ガラスの原料からガラス板を作る前問は、非常に易しい問題のように見えましたが、落とし穴にはまってしまった方もおられたかもしれません。特に短時間に解答が要求されるような場合は、しばしばそうなりがちです。 さて、今号の設問はどうでしょうか。
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設問の内容を見るかぎりでは、論理思考を要する問題でも、あるいは注意力を試す問題でもなさそうです。さらには確率やフェルミ問題とも無縁のようです。 しかし論理思考をはじめ、これらの分野の問題ではないにしても、これまで見てきた当連載の試験問題にはトンチ式の解答を求めるものは1つもありませんでしたので、ここでもしっかりとした筋道の立った解答が求められていると思わねばなりません。 そこで考えます。どうして12個の氷なのか。10個や20個ではだめなのか。どうして7つのトレイなのか。9や15のトレイではだめなのか、という疑問が湧いてきます。そして、特定の数字が示されている以上、そこに何らかの数学的な思考を巡らさねばならないような意図が隠されているのではないか、との考えに至ります。 当設問条件に示されているように、棚がない以上同時に7つのトレイを重ねて氷を作ることはできませんが、正解に近づく課程で、あることに気づかれた方も多くおられたかもしれません。 この方法はいいポイントを突いています。最終的に7つのトレイ全部を使って最大量の氷を作れるからです。 ところがこの順次方法を考えつくことによって、次に進む展望が開けてくるということです。 つまり、その12個の氷をいくつかに分けて、それらの氷をトレイとトレイの仕切りに使って積み重ねていけば、一度に複数のトレイが使えることに思い当たるわけです。 結果、まず最初、1つのトレイで12個の氷を作ります。次にその氷を取り出して、それぞれのトレイの対角線上の角に氷を1つずつ(計2つ)置き、それらを積み重ねれば、一度に7トレイ分、84個の氷をつくることができるということです。 氷の設問が出てきたところで、ちょうどいい機会なので、ここで氷屋さんの話をしてみたいと思います。 日本に16,000店、世界全体では52,000店もあるセブンイレブンの、そもそもの出発原点は氷屋さんでした。 夏には休日なしで店を開け、電気冷蔵庫がまだない頃の家庭用冷蔵庫に必要な角氷を販売していた氷製造業社ですが、この会社がどうして氷以外のものも販売する小売業になっていったかと言いますと、お客からの依頼を受けているうちに、それがビジネスにつながっていったということです。 その初期における依頼とは、子供のためのフレッシュなミルクや日曜日の教会の帰りに求められる新鮮な卵などで、たしかに大きな冷蔵庫の役目を果たす氷の倉庫に置いておけば、それらの新鮮度は抜群に保てたわけです。 さらにその後、冷たい飲料やバター、チーズ、パンなどの食料品や日常ちょっと必要となってくる砂糖とか石鹸、あるいは缶詰などの販売依頼が続き、当時、こうした便利さを求めている人々の要求に対応できる店舗がほかになかったため、氷販売所の一隅に置かれたそれらの品物はよく売れはじめ、次第にその形態がビジネスとして成り立っていったというわけです。 また、この小売業のスタートを後押ししたのが、毎年毎年、新しく従業員を雇うことに著しく費用がかかっていたことに対する当時の従業員対策でした。 他の品物も販売することにより、夏の忙繁期に雇った氷販売要員の従業員も、冬期を通して1年中確保できるというメリットが生み出されたからでした。 日本におけるセブンイレブン第一号店は1974年の開店ですが、アメリカ側の主導によるものではありませんでした。スーパーの出店を試みる度に、地元小売店の猛反対に遭って悩みに悩んでいたイトーヨーカドーが、なんとか小売店と共存できるような方法はないものかと苦悩の末に辿り着いた結果です。 当時、人事広報の担当取締役だった今の会長・鈴木敏文氏がアメリカのスーパー視察をしていた折、ハイウエー沿いの角地ごとに、セブンイレブンの看板を掲げる小規模な店舗がたくさんあることに気づき、これはその背後に何らかのシステムがあると思ったのがきっかけでした。 しかしあれやこれやの手をつくし、1971年5月、伊藤忠商事の紹介状により初めて先方に会うことができたものの、日本での出店はまだ時期尚早だから、イトーヨーカドーはスーパーの本業だけでやっていればいいなどと、色よい返事はまったくなかったのです。 しかしねばりにねばって説得を重ね、とうとう先方の要人4名からなる日本市場調査団の来日という譲歩を引き出すことに成功し、結果、1973年11月の提携にこぎ着けたのです。この間、3年近くのねばりで、いかにイトーヨーカドーが大きく悩み苦しんでいたかがわかります。 その後、日本のセブンイレブンは独自の管理システムや配送システムなどを構築し大きく成長するのですが、逆に従来型の経営を続けていたサウスランド社は業績悪化に苦しみ、1991年、その経営権を日本が握ることになり今日に至っています。 いまでは生みの親であるイトーヨーカドーの平成24年度の売上13,030億円に対し、日本のセブンイレブンジャパンのそれは35,084億円と、その3倍近く大きくなっています。 店が24時間開いているということは、消費者にとってたいへん重宝なことですが、ちなみにアメリカで24時間営業の実験をしたのは1963年で、場所は不夜城のラスベガスでした。日本では1975年、それぞれ異なるタイプの3店、郡山市の虎丸店、東京江東区の豊洲店、相模原市の相生店で最初の実験をしています。 アメリカの24時間営業のことで、当初、鈴木氏にはこんなことがあったそうです。お客もまばらな深夜に、明かりをこうこうとつけ、人件費もかけて24時間営業をしているのが不思議で、先方にそのことを尋ねると、こう答えたそうです。 「それは、イレブンセブンの夜間の売上と同じ分だけ、昼間の売上があがったから」と。 意味が飲み込めない様子でいる鈴木氏を見て、さらに「つまり昼間の売上が、夜の11時から朝の7時までの売上額分だけ増えたということ。理由はよくわからないが、それが事実で、実際、そうだったから」と。 半信半疑で、日本でも実験を始めたのが先の3軒だったということです。そして実験結果は、まさしくそれに近い結果が出たそうで、いつ行っても店があいているということが、何かしら大勢の人の心理に影響を及ぼし、新しい顧客の開拓に繋がっていったのかもしれません。 さて、当設問の背景は、地頭をしぼり、問題解決のプロセスで生まれる成果物が、問題解決の触媒になるという知恵を発揮できる能力を持っているか、またある程度のスピードで解けたかどうかなどを見ようとしているものです。 それでは設問96の解答です。 |
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では、その出題背景を考えながら、次の設問を考えてみてください。 |
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ビル・ゲイツの出題問題に関しては、HOW WOULD YOU MOVE MOUNT FUJI ? (Microsoft’s cult
of the puzzle. How the world’s smartest companies select the most
creative thinkers. )By William Poundstore の原書や、筆者の海外における友人たちの情報を参考にしています。 また連絡先不明などにより、直接ご連絡の取れなかった一部メディア媒体からの引用画像につきましては、当欄上をお借りしてお許しをいただきたく、よろしくお願い申し上げます。 |
執筆者紹介
テレビ出演と取材(NHKクローズアップ現代、フジテレビ、テレビ朝日、スカパー)
出版
連載
新聞、雑誌インタビュー 多数
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